ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

FACIM読書会 6月 JTT Ch.10 (その2)

(つづき)

JTT本 Chapter 10の後編いきます。

 

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.2)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

 

★Chapter 10 -- The Idols of Sickness p45〜 (続き)

The Power of the Mind p45 (前回からの続き)

No.9678/p45 This tells us why it is so important not to overpower others, convinced that...
・「自分は他者にとって何がベストかを知っている」という確信によって他者に押し付けをするべきではない。確かに、この世界の中では私たちは(何がベストかを)知っているかもしれないが、私たちはこの世界の者ではないし、それは他者にとっても同じだから。
・自分の意思を他者に無理強いすることは、それがどんなに愛ある行為だと思っていたとしても、最終的には助けにならない。時には、最も愛あることが「他者に間違えさせてあげる事」だという事もある。ある時には、形態のレベルで介入する事が助けになるかも知れない。
・しかし、直接的であれ間接的であれ、他者を助けるための唯一の愛ある反応とは、彼らの心にある力(愛に反する選択をした部分)に接触する事。そのようにして「誤りとは自分の選択に内在しているものだった」ということに彼らも気づく事ができ、選び直そうという動機になる。

No.9744/p47 We believe, and it is virtually a psychological axiom, that we grow up...
・私たちは「自己肯定感が乏しいまま育ったのは親のせいだ」と信じている。それはもはや心理学的な公理となっているほどだ。
・私は(親に)無価値なものとして扱われたから自分も無価値だと信じた、そしてその無価値さを埋めるために他者から奪うようになった...。確かに、心のない世界の心理学の法則ではその通りかもしれない。だが、私たちはこの世界の者ではない、ということを覚えておくべき。
・実際には私たちは「虐待的な両親が自分を粗末に扱う」事を好んでいる。そうすれば、自分の惨めな状況が自分のせいではなくなるから。だが本当に自分を粗末に扱っているのは私たち自身である。栄光あるキリストの自己像を、卑小なパロディにすり替えているのだから。
・以上のことから、私たちは加害的で無責任な両親を持つことが好きでたまらないと言える。実際、私たちの決断の主体が彼らを両親に選び、虐待させているのだから。

The Atonement Principle p48 (No.9770)

No.9835/p49-50 In our sleeping dreams, the laws of the world of time and space...
・私たちが夜眠っている時に見る夢は、時空の法則にいつも違反している(自分注:空を飛べちゃったり)。だが私たちはその事を不思議とは思っていない。目が覚めた時に、それが夢だったと知っているからだ。同じように、私たちが分離という夢から目覚める時にも「何も起こってなかった」という事を思い出す。

Looking Within p50 (No.9859)

No.9865/p50 We have to realize the painful consequences of the mind’s decision to...
・私たちは 神から分離するという心の決断の痛ましい結果を認識する必要がある。自我はそれをさせてくれないが、代わりにその苦痛を外的な世界や肉体に見せることはする。
・そのようにして私たちが苦痛の源を認識しない事により、この世で非常にリアルに「苦痛の原因」のように見えるものが、まさか作り物であるとは疑いもしない。飛行機が墜落すれば、肉体的・精神的な苦痛は非常にリアルに見える。朝起きてから認識する肉体に必要なものごと(自分注:食事とか)も非常にリアルに見える。
・私たちのこうした知覚や体験を否定することは求められてはいない。しかし、それらを別の見方で見ることが求められている。

The Reflection of Oneness: Forgiveness p53 (No.9946)

No.9951/p53 This is not a course about joining with others on the level of bodies since...
・このコースは肉体のレベルで他者と繋がるためのものではない。人間関係というのは心だけのものだから。(実際、心しか存在しない)。
・Jはコースでよく「繋がり」について話すが、それは文字通り”他の人と繋がりましょう”という意味ではなく、”私たちがすでに互いに繋がっている”という事を「受け入れる」という意味。
・私たちは分離した心の一体性を受け入れる(神の子はひとつであるがゆえに)。そのことを真実において受け入れるだけでなく、幻想においても同じように受け入れるということ。

No.9969/p54 Since the separation from God never happened, the gap I misperceived between...
・神からの分離が一度も起こってない以上、私が誤って知覚している「私とあなたの間にある”隔たり”」も一度も起こってはいない。私たちには異なる利害があるのではなく、共通の利益とゴールがある。
・この理解によって、私は分離の投影(私があなたに押し付けた罪悪)から退くことができ、それによってあなたは癒される。
・ここで「あなた」というのは、あなたが自分だと思っているあなた自身のことではない。あなたの肉体や人格(または人間関係)などが癒しを必要としているわけではないから。癒される必要があるのは「私と神との関係」であり、それは聖霊によって癒される。

No.10029/p55 In true forgiveness we look at the mind’s “sin” and recognize it as merely a mistake...
・真の赦しにおいて、私たちは心の「罪」を見つめてそれが単なる誤りだったと認識する。しかし、それは他者の誤りだとか私たちの誤りだとかいったものではない。なぜなら誤りはひとつしかないから。
・すべての”加害者 / 被害者”といった自己概念は、同じ誤りから生まれた。その誤りとは「神の子のあいだには違いが実在する」というもの。そして私たち全員が、その誤りを訂正するために奇跡を必要としている。

No.10076/p57 Jesus pleads with us not to skip steps. We cannot leap into Heaven’s light because...
・Jは私たちに「くれぐれもステップを飛ばさないように」と嘆願している。私たちは恐れが強すぎるため、いきなり天国の光に飛び込むことはできないから。
・私たちは、ひとつひとつの特別な関係を見ていくことで、一歩ずつ小さな癒しのステップを踏んでいく必要がある。やがていつか、私たちがその赦しを普遍化し、全ての兄弟をひとつとして受け入れる事ができるようになるまで。
・この中間的なステップについては「だから私たちは多くを学ぶために、わずかなものを見ていく必要がある(W-pI.161.4:8)」と書かれている。さもなくば、偉大さに対する恐れを強化してしまう事になるから。しかし、”共通の利益”というキリストの見方によって偉大さを反映させていくのであれば、私たちは穏やかに自我の夢から覚める事ができるようになる。

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Chapter 10からは以上です。

今回ちょっと下線を引いた「時には、最も愛あることが "他者に間違えさせてあげる事" だという事もある」の部分は、実生活でそれなりに考えさせられました。例えば、パパリンが謎の思い込みで間違った断定をするとき、それを私が正論でやりこめてしまうのは絶対に愛がないのは分かってる、でもどうすれば。。。という所でずーっと思考停止に陥っていたのですが、その答えはこれだと思ったのでした。

ここはある意味、博士が珍しく行動面に言及している箇所とも言えるのですが、博士自身もヘレンに対して「相手の自我を尊重する」ことについての体験を綴っています(天国から離れて 13章 p430-431)。そこで私も、もしパパリンが気分良く間違えたままでいられたとしたらどうだろう?と思って、いくつかの問題発言を敢えてスルーしてみたのでした。当然こっちは苛立ちを感じますが、噛み付いてスッキリさせようとするのではなく、その苛立ちが自分の選択であることを心の中でただ認識する感じです。

その結果、本来なら勃発していたはずの議論を免れることになり、その分平和になりました。。。って、当たり前か。要するに、私が余計な反応をしてるだけなんだよな。

こっちも毎回ちゃんと自分の心を見張っていられる訳じゃないんですけど、私が相手の間違いを実在のものとして反応するかどうかで、だいぶ結果が変わってくる。。。というのは納得でした。(^_^;)

そんなわけで、JTT本を読んでいると割と実用的なヒントが転がってたりするので、やっぱり読書会はやめられません。笑