ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

秋の遠足の想い出 (その1)

11/1。

先日家族旅行で走ってきたばっかですが、今度は一人旅で秋の遠足に行ってきました。まず、いつもお世話になっているテディさんと久々に再会です。お時間割いていただきありがとうございました!

ピンポイントで心に残るお話があったのでメモします:

 

ひとコマに凝縮されているもの

今回、Alex漫画「この宇宙は夢なんだ」p12の何気ないひとコマを見せて貰ったのが印象的でした。私は当然のごとく読み飛ばしてた箇所ですが、コースの理解にとても役立つお話だったので、できる範囲で思い出してみます。(英語版キャプチャですんません、日本語版の紙本p12です)

f:id:tobbe:20191110120103p:plain

この図の意味はAlex漫画に詳しいですが、中央の目玉が「意識」で、それが見ている黒いピラミッド型が「知覚」の世界。左側の陰陽マークが「二元性(自我)」、右側の放射マークが「一体性(神)」を表しています。

 

コースによれば、左の二元性と右の一体性は相互に排他的な関係にあります。Alex漫画の日本語版でTIPPING POINTが「転換点」と訳されている通り、ピラミッドの左か右か、どちらかしか選べない状態です。で、学習の初期の段階(=梯子の一番下)では、当然ながらほぼ常時エゴ(左側)を選択している状態なので、平安(右側)の体験など望むべくもありません。従って、この段階で現実的にできることは「知的な概念としての平安を心に思い描くこと」まで、となります。

 

だからこそ、自分の中にはどんな時も「決して揺らぐことのない平安が存在する(=右側のマーク)」という事について、力づくで良いから思いを馳せること。初学者はひたすらそれの繰り返し。。。というのが一番印象に残りました。

脳みそ全開で何らかの概念を思い描くという事であれば、エゴを選択している状態からでも可能だし、最初はそれで構わないんだ、という事を思い出させてくれるすごい絵だったんですね。これ描いたAlexもすごいけど、テディさんの目の付け所がすごい。

 

裁かずに見るということ

あともうひとつは「裁かずに見る」という話。いま自分が見ているものの「目的」は何か?と問うとき、それが分離を強化するものだったらそれはエゴだし、大抵はエゴを選んでいるはずだと。

このことに関連して「赦しのカリキュラム」の質問19で博士が端的に述べていると教わりました。ワタクシこれまた絶賛読み飛ばして記憶に残ってなかった箇所ですが、引用してみます:

 

『奇跡講座』の中でイエスは、さらに具体的に、自分の自我を裁くことなく直視するようにと、彼の生徒たちに命じています。まさにこれが、心にアクセスする方法なのです。もし彼らが、イエスの愛を傍らにして、自分の自我が活動している様を、裁く気持ちや罪悪感を持たずに見ることができるとしたら、そのとき、そのように見ている主体は誰なのでしょうか?自我ではあり得ません。それは、肉体の中には存在していない心 -- より正確には、私たちの心の中の<決断の主体> -- であり、したがって、自我ではありません。(赦しのカリキュラム p80より)

 

その時エゴを選んでいたからといって、そのことを「裁かないで見る」(=決断の主体に戻る)ことが大事だというのは、ぶっちゃけ耳タコかも知れません。でも実際やってみると、動揺のさなかに自分の心を裁かずに見ることからして難しい。。。

 

そこで再びAlexの絵を思い浮かべれば、自分が平安を選択できていないことを咎める必要がないと、少なくとも理屈の上で理解できる気がします。(だって自分は絶賛エゴ選択中なんだから、排他の論理から言って、平安を体験できないのは当たり前なんだと思える→赦せない自分を責める必要がなくなる)。

それよりむしろ、自分がエゴを選んでいる事にただ気づくこと。それって聖霊を選ぶとか以前の話ですが、梯子の一番下では避けて通れない段階なのでしょう。

 

変な夢をみた

。。。とごちゃごちゃ書いたら長くなりましたが、実際にはカフェでちらっと聞いた話でメモもとってません。しかも私の解釈なので間違ってたらマジごめんなさいですが、記憶をまとめるとこんな感じ:

 

「揺るぎない平安に思いを馳せる。そして裁かずに自我を見つめる。学習者が常にすべきことは、結局のところたったこれだけ。非常にシンプル。しかし決して簡単ではない。だからこそ繰り返し練習する必要がある」

 

さて、テディさんにさよならを言って眠りについたその日の晩のこと、その話がよっぽど心に残っていたのか、こんな夢をみました。

 

夢の中でどういうわけか私はひどく動揺しており不快な気分でした。その時「そうだ、揺るぎない平安に力づくで思いを馳せるんだった」と思い出し、うりゃーーー!とやってみたところ、魔法のようにスーッと動揺が消え去った。。。という幼稚園児向けのチュートリアルみたいな内容でした。そして夢の中で「なーんだ、いつもこうすりゃいいんじゃん」と思ったとこまでは覚えてるんですが、

目覚めてから↓

「そんな簡単に行くわけねーし。。。orz」

 

見事にオチがついたところで、おいらの旅は続きます。。。 

 

ゲイリー達のオンライン講座(28)

10/28。

日本時間で10/25に配信されたオンライン講座、The Alternative to Projection, from ACIM Ch.6, Section IIの第二弾です。前回は調子いまいちで時々席を外してたゲイリーですが、今回は最後まで元気に話してくれてました。よかった。

講座の本編

シンディの話もふくめ興味深い内容はいろいろありましたが、前半と後半のゲイリーの言葉で繋がる所があったので、そこだけ要約してみます:

 

[ゲイリー]

(0:15) 僕は80年代に仕事がらみで非常にブラックな環境にいたことがある。そこで特定の人物から虐待的な扱いを受けた。言葉の暴力、精神的な暴力、そして物理的な暴力まであった。とにかく非常に有害な関係性だったんだ。当時の僕はもちろん、そういう虐待をするほうが悪い奴で、自分は被害者だと思っていた。

(0:16) しかしその10年後にコースを始めたら「あなたが見ているのものは、あなた自身の罪悪であり、それがあなたの外側にあるように見える」という事が書いてあった。もちろん、僕がすぐにこれを理解できたって訳じゃない。これはなかなか把握が難しい概念だからね。だがコースが言ってるのは、たとえ虐待的な扱いを受けているように見える時でも、あなたが実際に見ているのは「虐待者という実在の人物」ではなく、「あなた自身の罪悪感が外側にあるように見えている状態」ということだ。そしてその罪悪感が雄叫びをあげながら、生みの親のもとに再び戻ろうとしている、というわけだ(W-pI.161.8:2)。これはなかなか写実的な描写だね。

(0:17) エゴというのは大したやり手で、非常に狡猾にあなたを陥れる。それはあなたが外側に見るものが本当にリアルだと思わせる。しかし、そこにコースがやってきて「それは違う。救済の秘密とは、あなたが自分で自分に対しこれを行っているということだ」と言う(T-27.VIII.10)。これは実に理解しがたい内容だ。しかしJや仏陀が(人々と)違ったのは、彼らは目に見える形態に惑わされなかったということだ。

(0:46) 僕が過去に体験した虐待について。なるほど、それは僕の罪悪感が僕に向かって吠えていたということだ。それは分かった。しかしだからって自分を守ってはいけないという事ではない。他者に踏みつけにされる必要はない。誰かが殴りかかってきたら、腕をかざして防御して構わないんだ。まあ、Jならそんな事せずに反対の頬を差し出しただろうけど、彼は苦痛を感じなかったのだから例外だ。僕らはまだ反対の頬を差し出す準備が出来ていない(殴られて痛みを感じるならね)。だから、そこに至るまでの間は自分をちゃんとケアしていこう。

(0:47) ワークブックで「自分を防衛するなら、私は攻撃される(L132)」など、防衛しない事についていろいろ書かれてるけど、常に覚えておいて欲しいのは、これらのレッスンで言ってることはすべて心のレベルの話であって、物理的な世界の話ではない、ということだ。攻撃は心のレベルで起こったのだから、心のレベルで防衛しない、という事だ。コースは心の訓練のためのものであって、物理的な訓練ではない。

(0:48) もし誰かが狂った行いをしていたら、それを見過ごし、赦して、その人を神の完璧な創造とみる。なぜそんな見方をしたいと思うかって?なぜなら、それが唯一、自分自身をそのように見る方法だからだ。

 

Q&A

今回は12の質問への回答がありました。中には2000年前の使徒たちの話があったりして個人的に興味深かったのですが、最近そんな話ばかりピックアップしてる気がするので、ちょっと違う質問をひとつ選んでみます。

 

Q5: 私にもどういう訳かヘレンやゲイリーと同じ霊的な能力があって、それを磨いていこうと思っています。自分が意図しない時に霊視を見たり、睡眠前後や仕事中や運転中に声が聞こえたりするのです。私はそれで自分の意志を聖霊に委ねている事が分かります。さらに自分を浄化したいのでアドバイスをお願いします。

ゲイリー:そういう才能があるならば、それを聖霊に捧げて聖霊に主導して貰うことを忘れないように。ほとんどの人は、霊的な才能があるとそれを個人的な才能だと思ってしまう。自分はサイキックだ、チャネラーだ、偉大な教師だ、というふうに。だがそれは違うんだ。霊的な才能というのはあなた個人に与えられたものではない。霊的な才能(gift)とは、あなたが聖霊に捧げる贈り物(gift)のことだ。あなたの特別な才能が何であれ、それを聖霊に捧げ「聖霊よ、どうかこの能力を聖霊の目的のためにお使いください。自分のためではなく、全ての人々の善きことのために。」と言うことだ。そうすれば聖霊は全員にとって最善のことに導いてくれる。

ちなみに全員にとって最善ということは、当然その中に自分自身も含まれるので、あなたが取り残される心配はない(笑)。そうする事による違いは、その"全員にとっての最善"が、自分で思い描いた最善とは異なるかも知れない、ということだ。

僕がオススメしたいのは「ヒア アフター」という映画だ。マット・デイモンが霊能力者を演じている。彼は女性と普通の関係が築けない。相手のことを全て知ってしまうから、相手が動揺して逃げてしまうんだ。しかし、彼はやがてみんなが自然と善きことに導かれるような能力の使い方に目覚めていく。これを観るといい。あなたの才能を聖霊の目的に使って貰うようにすれば、良いことがおこる。何でも自分一人でやろうとしないで、必ず聖霊の導きを求めるようにしよう。

 

*****

上記のQ5はたまたま霊的能力についての話でしたが、これは何もスピリチュアル系の特殊能力に限った話ではないかも。。。と思いました。編み物が上手だとか、暗算が得意だとか、速く走れるとか、人をまとめるのが上手いとか、世の中いろんな才能がありますが、そのどれをとっても聖霊の目的に使って貰うことは可能なのでしょう。

 

各人に備わっている才能が聖霊によって具体的にどう活かされるかは、人智で推し量ることはできないかも知れません。でも大切なのは「その力の使い道について聖霊に主導して貰いたい」という意欲のほうだという事ですね。私はなんでも自分でやっちゃおうとするので、気をつけないとな〜。。。

  

Kindle本のオーディオブック化(iOS版)

10/27

タオさん初登場のYouTube動画(10/24配信分)、すごく分かりやすくACIMを説明して下さってて良かったです!文章だけでは伝えきれないタオさんの人柄も感じられると思いますので、まだの方はぜひ:https://youtu.be/Em6GExeAoeI

 

で、本題はiOSトリビアなんですけど、上記動画でインタビュアーの方が「iPhoneの読み上げ機能を使って、散歩しながら『ACIMで行こう!』を読了しました」と言っていた所にピキーンと反応したトベです。なんだその機能、知らなかった!面白そう!ググってみよ〜!

 

。。。と、いつもの調子で試した結果、本当にKindle書籍をオーディオブック状態にすることに成功しました!画面を見なくても音声で本の内容が聴ける!つまり、徒歩とか運転中とかの移動中にも本が読める(聴ける)ということです。

しかも、博士本やゲイリー本などの英語書籍も、ちゃんとネイティブ発音で読み上げてくれます!ヒアリング練習もできて一石二鳥ですね。

 

2019年10月現在、手持ちのiOSバイスであるiPhone8とiPad Pro (現時点でiOS13) の2つで動作確認した手順をまとめます。よほど古い機種でない限りはサクっと動作するはずです。

 

1. iPhone/iPadでのVoiceOver機能の設定

以下はiOS13で「VoiceOver機能」を使う方法です。以前はスピーチ機能という読み上げ機能があったようですが、iOS13で強化されたVoiceOver機能のほうが末永く使えそう。なお、設定前にはiOS13以上にアップデートしておくのがオススメ。(OSバージョンが異なると設定項目が見つからないこともあるかも?)

 

①VoiceOver機能のショートカットを使える状態にする。
「設定>アクセシビリティ>ショートカット>VoiceOver」を選択すると、VoiceOver機能が使えるようになります。なお、VoiceOverを起動したり終了したりする方法はいろいろあります:

ボタンでVoiceOverを起動/終了
ホームボタン3回クリックでVoiceOverのON/OFF切替が可能。最新の機種(ホームボタンが無いやつ)では、サイドボタン3回クリックで切替え。この方法が一番便利かな?

SiriでVoiceOverを起動/終了
ホームボタン/サイドボタン長押ししてSiriを起動し「VoiceOverをオンにして」「VoiceOverをオフにして」の口頭指示で切替も可能。

※VoiceOverショートカットについての詳細はこちら

 

②VoiceOver機能の基本操作を練習する。
VoiceOverはもともと視覚障害をサポートする機能なので、起動中はiPhoneの操作方法がちょっと特殊になります。使ってみれば分かりますが、操作は以下の通り:

VoiceOver起動中の操作方法
・タップ →項目の選択
・ダブルタップ →選択項目の決定
・3本指でスワイプ →スクロール
・2本指で上から下にスワイプ →画面の項目ぜんぶ読み上げ(Kindleでは必須)
・タップ状態で指をスライド →選択位置変更+読み上げ
・2本指を回転 →ローター起動(=VoiceOver簡易設定の呼び出し)
 2本指の回転で項目移動→指を離すと項目決定。
 項目内の選択肢は上下スワイプで切り替え、ダブルタップで決定。

※VoiceOverの基本的な使い方についての詳細はこちら

 

③やっといて損はないVoice Overの便利な設定。
「設定>アクセシビリティ>Voice Over」内で以下を設定しておくとKindle読み上げに便利です:

VoiceOverオススメ設定項目
・読み上げ速度:スライダで読む速さを変更できる。
・読み上げ>声:デフォルトのKyokoは機械的かも。Siriの方が人間的?
・読み上げ>新しい言語を追加…:英語本をUS発音で読ませるなら「英語(アメリカ)」を追加しておく。いちど追加すれば、ローターの「言語」から日本語⇄英語の切替ができる。

※VoiceOver設定項目についての詳細はこちら

 

2. iPhone/iPadでのKindle本読み上げ手順

上記の設定が済んだら、Kindle本の読み上げをさせる基本手順は以下の通りです。

 

Kindle本の自動読み上げ

Kindleを起動して読みたい本のページを開く。

②その状態でホームボタン/サイドボタンを3回クリックすればVoice Overが起動して自動で読み上げが始まる。しかし、ただ起動しただけではページ送りされないのでちょっと不便(1ページ分しか読んでくれない)。

③自動ページ送りさせつつ読み上げるには「2本指で上から下にスワイプ」する。これで簡易オーディオブックの完成!

④読み上げ終了するときはホームボタン/サイドボタンを3回クリックしてVoiceOverを終了すればよい。以降は元通りの操作に戻る。

 

英語ネイティブ発音での読み上げ

英語のKindle本をネイティブ発音で読ませるには「言語」の切替えが必要です。(その前に1-③の手順で必ず「英語(アメリカ)」を追加しておきましょう)。

日本語と英語を切り替える方法は次のとおり:

①VoiceOver起動状態で2本指を回転させ「ローター」を呼び出す。

②放射状に項目が並んでいる中から「言語」を選んで指を離す。

③これで言語切替モードなので、上下スワイプで日本語・英語を変更する。

④ダブルタップで言語を決定。

※VoiceOverローターについての詳細はこちら

 

3. 日常生活で便利なオプション

散歩中とか運転中とかの日常シーンに便利なKindle読み上げ方法を紹介します。お料理しながら、片付けをしながら、体操しながらでも読書できるなんて効率的〜。

 

ポケットに入れたままKindle本の読み上げ

KindleでVoiceOver起動中に「3本指で3回タップ」すると「スクリーンカーテン」がONになり画面だけが消灯する。画面真っ暗でもVoiceOver機能は動作しているので、2本指で上から下にスワイプすれば読み上げ再開する。
※VoiceOverスクリーンカーテンについての詳細はこちら

iPhoneにイヤホンを装着する→上下逆さになると一旦読み上げがストップする→2本指スワイプで読み上げ再開→画面に触らないように気をつけてそーっとポケットに入れれば、散歩しながらでもオーディオブックを聴くことができる。

 

運転中にKindle本の読み上げ

iPhoneをクルマのオーディオに接続してVoiceOverでKindle読み上げさせれば、運転しながら読書可能です。この時iPhoneの姿勢が変化して読み上げがストップしてしまわないように、何かで固定したほうがいいかも。

 

*****

。。。という感じで何やら長々と書いてしまいましたが、教材を読むことの多い人々にとっては、かなり恩恵のある機能ではないかと思っています。もちろんVoiceOver機能は本物のオーディオブックではないので、かなり機械的な読み上げだったり句読点の切り方が変だったりと欠点はいろいろあるのですが。。。それでも十分にリスニング可能なクォリティで淡々と喋ってくれるのはありがたいですね。

 

Androidユーザは?

今回は自分で動作検証した関係でiPhone/iPadでの説明のみになってしまいましたが、噂によるとAndroidでも似たような読み上げ機能(TalkBack)があるらしいです。ネットにやり方がいろいろ載ってるようですので、ぜひ調べてみてください。

たとえばこんな記事とか:https://yogobierno.org/kindle-talkback/2125/

(最近のスマホは何でもできて凄いですね〜)

  

行かない!行きたくない!事件

10/22。

ここしばらく実家はそれなりに平穏で、あまり振り返ることもなく。。。もちろん父が食事中にTVに向かって独善的な評論を始めたり、くだらない事で母と口論を始めたりするとイラッとするので、日々の赦しネタには事欠かないのですが、事件と呼ぶほどのものじゃなかったというか。

 

が、このほどついにパパリンご乱心〜!久々に噴火キターーー!(゚∀゚) 
実は一ヶ月以上前から両親と一緒に旅行する約束をしていて、私が中心になってコネのある旅館の予約を取ったり(特例で犬連れを認めてもらった…)、観光ルートや移動の段取りなんかを全部引き受けていました。つまり両親がスポンサーで私が実行部隊という共同事業です。もちろん、ここまでは問題ナシ。

 

超絶しょうもないバトル

さて出発の前日のこと。今日中に荷物を支度しようね〜明日は早起きしようね〜、という話をしていた矢先に、両親が突然超くだらない事で口論開始。バトルの内容は「旅行に持っていく犬用のケージをどこに保管してあるか」について「知らないと言った」「そんな事言ってない」という、死ぬほどどうでもいい話でありました。(あるかないかという実用的な問題ならまだしも、言った言わないの応酬とは…)

 

またアホらしい話でやりあってんなと思いつつ傍観してたら、しまいにパパリンがテーブルを拳で叩くほどの癇癪を起こして「旅行なんか行かない!行きたくない!」と母に向かって大声でわめき散らし、以降完全にヘソを曲げて一切口を聞かなくなったという。。。
おいおい、1ヶ月前から計画してたのに、こんな理由でまさかの前日キャンセルかよ、誰が旅館予約したと思ってんだよ、勘弁してくれよ〜。(゚Д゚)

 

私「えーとパパリン、それだと前日キャンセルって事になるけど?」
父「絶っっっ対に行かない!」
私「ママリンはどうするの?やめるの?」
母「私はもちろん行くわよ〜、トベちゃんと一緒に」
私「じゃ、パパリンだけキャンセルしたいという事なのね」
父「行かないったら行かない!」
私「パパリンが留守番するってことは家でプーコ(犬)の面倒を見てくれるの?」
父(完全シカト)
母「パパリン犬のお世話なんか無理よ、もちろんプーコも一緒に連れて行くわよ」
父(完全シカト)
私「了解。そういうことなら私たちだけで行くから、パパリンは自分のキャンセル料だけは払って頂戴ね。さすがに前日キャンセルだから100%かかるかもね」
父(完全シカト)

 

まったく、急病だとか親戚の不幸とかそういう理由での前日キャンセルならまだ言い訳できるけど、まさかこんなアホな理由でドタキャンの電話を入れることになるとは。。。かなり屈辱的な気分で旅館にお詫びの電話を入れました。いろいろ良くしてもらったのに面目ない。。。

 

パパリンが意味不明の癇癪起こすのは歴史的にみると珍しいことじゃないのですが、テーブルを叩くなどの威嚇攻撃+完全シカトというのは、相手を動揺させコントロールするための脅迫だと私は思ってます。こういう態度の相手にしちゃダメな事は:

①倍返しで怒鳴り返す
 →これは私も過去に散々やったけど殺人衝動に発展するので良いことなし。
②動揺してオロオロする
 → 向こうはそれが見たくてやってる訳だから相手の思うつぼ。
③一緒に行こうと説得する
 →向こうはそれを頑なに拒否する事を楽しんでいるので逆効果。
④旅行全体をキャンセル
 →父の乱心によって全計画を取り消すのは母や旅館に対してアンフェアだし、父が自分で決めたこと(=1人で留守番する)を信頼しない事になるのもどうかと。


でも正直、父を置いて旅行を決行したところで、私達もちっとも楽しめないのは分かっていたので、"④旅行全体をキャンセル" するかどうかはかなり迷いました。なんにも仙人なパパリンが留守中に一人で食事できるか、病気で倒れたり、孤独で憤死したりしないか心配だったのです。それでもやっぱり「旅行取消はなんか違う」と感じたので苦しい決断ではありました。

 

こんな時に聖霊が「行ってよし」とか「行っちゃダメ」みたいに形態レベルで指示してくれたらマジで有難いのですが、私はそういう感性が未発達なので望むべくもありません。それに、コースで問われているのは形態ではなく「内容」なので、ぶっちゃけ自分がどんな行動を選択しようが、問われるのはどちらの教師を選ぶかってことですよね。自分には何が正解か分からないし、結局はすべて何らかのレッスンになるわけだから悩んでも仕方ない。自分なりにベストを尽くしたうえで、起こることは何であれ受け入れるしかない、と。

 

そこで私の"Be Normal" 論理脳フル回転で出した結論としては「怒ってるパパリンの気が済むまで刺激せず放置」&「母と2人で淡々と普通に旅行の支度をする」ということになりました。(なおかつ、万が一パパリンが態度を改めたら行けるようにはしておくものの、なにも期待はしないということで)

 

パパリンの必殺技

さて一人で憤慨しているパパリンは何時間もソファでだんまりを決め込んで、身じろぎもせずTVの前に座りっぱなし。プーコが騒いでも完全無視で非協力オーラ全開で、取り付く島もありません。ま、噴火後はいつもこんな感じですけど。

一方、ママリンと私の女子組は淡々と旅行の荷物をまとめ、いつもどおり台所で夕食の支度をし、いつもどおりパパリンの分を含めて三膳の食事をテーブルに支度しました。

 

「パパリン、ご飯よ〜」
と、いつもと同じ調子で呼びかけたら、やっとソファから立ち上がって当然のように食卓につき、何事も無かったように食事を始めるパパリン。しかも、夕食を境にいきなり機嫌が良くなってやたらと饒舌になり「行先の気温はどうなんだ?」とか「犬用リュックを出してやる」とか絡み始めるし。(うん、でもパパリン絶対行かないって行ったよね?何で自分に関係のない話題を私たちに振るのかな?)

 

しかも食後に何気なくパパリンの行動を観察していると、どういうわけか私達に何の断りもなく、いそいそと旅行の支度を始めているではありませんか。Σ(゚Д゚)

さすがにちょっと自分勝手な匂いがしたので軽く一言:

私「あのうパパリン、もしかして行くつもり?」
父「うん、行くよ」(しれっと)
私「えっと、旅館にはもうお詫びの連絡入れちゃったけど?(ちょっとキレ気味)」
父「えっそうなの?じゃ留守番してもいいよ」
私「(何言ってんだこのじじい vs いや咎めない咎めない…) まあ、旅館のほうは柔軟に対応する感じだったから来ても大丈夫とは思うけどね。。。 (ワナワナ...)」

 

でたーーーー!必殺・全部なかったことにするぜベロベロバー!!!
あれだけ盛大に行かないと啖呵きって完全だんまり決め込んで、私たちが怒ってないと知ったら急に態度豹変させて、反省の色ひとつ見せずに行く気満々って、なにそれーーーー!?アンタ子供かーーーー!!

癇癪起こしたことよりも、この恥知らずな態度のほうが許せん。。。(゚皿゚メ)

 

あっいけない、これも聖霊のレッスンだった。この怒りこそ私の罪悪感だし、自ら望んでパパリンに演じさせている訳ですよね?私は自分で考えているような理由で動揺してる訳じゃないしね?パパリンに罪をなすりつけるために、こんな手の込んだ投影をしちゃったのね?さあ、聖霊と共に平安を選び直さなくちゃね、ウフ♡
。。。って、ちっくしょーーー腹立つわーーー!!
( ╬◣ 益◢)

 

全員で旅行に行った結果

そんな自分勝手なパパリンに内心激おこ状態だった私ですが、表向き冷静に振る舞いつつ、当初の予定通り家族全員で旅行に行ってきました。

そしたらまさかのパパリン超〜ご機嫌で、前日キャンセルぶっこいて迷惑かけた旅館の女将さんに何事も無かったかのようにイイ顔しまくってて「どういう神経してんのかな〜」と、冷ややかに見つめていたのは内緒です。

 

まあ結果的にいうと、私がこのことを根に持ってこだわりさえしなければ、久々に何のトラブルもない楽しい家族旅行だったわけです。観光名所をたくさん訪れたし、ハイキングも楽しんだし、美味しいものも食べたし、源泉かけ流し温泉も入ったし、何より旅館のみなさんが犬連れの私たちに本当に良くしてくれたし。いつもは旅先で無駄吠えする癖があるプーコも、今回はとてもお利口にしててやりやすかった〜。

 

なんだかんだ言って、足腰が弱ってきている高齢の両親と一緒に旅行できる機会がいつまでもあるとは思えません。ハイキングの何でもない道でふらついている2人を見ると、もしかしたら今回の旅行が最後になるかも知れない、なんてことも頭をよぎったりしました。だからこそ、今回無事に楽しい旅行が出来たことには感謝しなくちゃね。

 

というわけで結果オーライだったものの、 一時はホントにどうなることかと思いました。普段は平穏無事に過ごしていても、たまに何か勃発したときに家族を赦すってのは本当に難しいな〜と痛感した次第です。

 

ゲイリー達のオンライン講座 (27)

10/12。

超大型台風でドキドキ状態のなか、オンライン講座 The Alternative to Projection, from ACIM Ch.6, Section II を視聴してました。こちらは日本時間で10/11に開催された分です。ゲイリーはちょっとお腹の調子が悪かったようで、話の途中で何度も離席してました。でも身体の不調をあるがままに受け入れつつ普通に講座をこなすゲイリーの在り方から学ぶものは大きいです。

 

講座の本編

そんなわけでゲイリーは前半の半分しか居なかったのですが、今回もきっちりT-6.II「投影に代わる選択肢」のお話でした。貴重な(?)ゲイリーの話を一部メモ。

 

[ゲイリー]

(0:17) このセクション「T-6.II 投影に代わる選択肢」僕が初期の頃からお気に入りだった箇所なんだ。最初から意味が分かってた訳じゃないけど。まず、僕らは神から離れたと思った。エゴはそれを真実にしたくて、それを正当化するために神に対抗して投影したわけだ。こんなふうに何かから分離したという考えは「解離(dissociation)」という。解離によって、その分離を正当化するための投影することになる。この世界においては、その投影をするための他者が必要になる。

多くの人にとって理解が難しいのは、自分が投影している時に「自分が正しい」と思ってしまうことだ。その投影に対しての聖霊の選択肢は:「あなたは自分が正しいことと、幸福であることの、どちらを好むだろうか?(T-29.VII.1)」となる。もしそう聞かれたら、殆どの人は幸せのほうを好むと言うだろうが、実際には正しさを好むような振る舞いをしている。こんな風に、エゴはとてもトリッキーなんだ。

(0:19) 僕らは分離を正当化するために他者に投影する。そのことを知った上で注意深くみていくなら、スクリーン上の誰かが問題なのではない、と気づくのはさほど難しいことではない。自分が正当化している時にとる形というのは、自分の正しさ気持ち良く感じる程度のものから、怒りにまで発展するものもある。そこで君がしなくちゃいけないのは、どんな形であれ「正しくありたい」と思った時に、そのことに気づくこと。そしてこう自問する:「自分はこれを(主観なき)事実として正しいと思っているのか?それとも分離を正当化するための投影の観点から正しいと思っているのか?」

この事が古典的な形でよく現れる例は政治だ。僕らがTVで見る政治家たちは、自分たちが正しいと心から確信している。そしてそれはしばしば怒りという形に発展する。しかしコースは「(T-30.VI.1) 怒りは決して正当化されない」と言っている。なぜ怒りは正当化されないのか?それには救済の秘密が関わっているからだ:「(T-27.VIII.10) 救いの秘密は、"あなたは自分で自分にこれを行っている"ということだけである。」

(0:21) 夢のほうが君に対して何かやったわけではない。君は被害者じゃない。これは君が作った夢だ。覚えておかなければいけないのは、自分が「正しい」と思った時はいつでも自問すべきだ:「OK、正しくあること自体には何の問題もない。それが自分の(社会的な)仕事なのだから。しかし、その正しさが分離の正当化のためだとしたら?」と。

もし分離を正当化するための正しさであれば、それは投影だと言える。そこで(聖霊とエゴの)違いを判別できるんだ。僕らは誰かに対して怒ることなく、正当化することもなく意見を伝えることも可能だ。コースで正当化されないのは分離にしがみついてそれをリアルにしようとすることだ。僕らがしなければならないのは、その瞬間に気づくことだ。するといい気分になるだろう:「ヘイ、僕は別に正しくある必要なんてないんだ、正当化する必要もないんだ」ってね。

 

Q&A

ゲイリーが後半ずっと離席してたので、今回のQ&Aもぜんぶシンディ一人で頑張ってました。今回は12の質問のうち2つだけピックアップしてみます:

 

Q1: 内なる感覚というのは常に導き手だと思っていいんでしょうか?私が「すべて上手くいってるわ、人生はなんて素晴らしい…」なんて感じでイイ気分のとき、実はエゴからそう思ってる可能性もありますよね?時々、自分がハッピーなとき、何かを否認しているんじゃないかと思ったりします。これについて何か話して貰えませんか?

シンディ:良い質問ですね。感覚というのは導き手にもなり得ます。そして自分が心のどこにいるか -- 聖霊を選んでいるかエゴを選んでいるか -- を識別させてくれます。「感覚なんか信じちゃダメ」なんて、誰にも言わせないでくださいね!コースは心を変えるためのものですが、同時に自分の感覚を否定しないことです。それは無価値な否定になってしまいます。

もしイヤな気分になったら、それは明らかにエゴです。その感覚を用いて、自分がエゴを選んだことを認識できます -- 選び直すために。だから感覚というのは、あなたの心の現在地を教えてくれる、素晴らしい導き手になり得るのです。そして(質問にあったように)良い気分のときがエゴのトリックであることもあります。コースは「(T-18.IV.2) あなた自身の善意を信頼してはならない」と言ってます。もしあなたの気分の良さが、誰かの代償によってもたらされているのであれば、それはエゴの罠です (誰かがイヤな気分になることによって良い気分になるとか、誰かに復讐することで良い気分になるとか)。その気分が示していることは「他者との違いをリアルにしている」という事であり、それは投影なのです。こうした誘惑には気をつけないといけません。

「自分はどうしてイイ気分なのか?」について心の動機をよく観察してみる必要があります。もしその気分の良さが、兄弟との同等性を反映することから来るものであれば良いのです。それは、誰かを悪者にしたり違いを見たりせず、全ての人は「愛を求めているか、愛を表現しているかのどちらか」だと見ることです。そして私たちの全てに同じ「決断の主体」が宿っていて、誰でも同じ選択ができるという意味で同等だということです。このようにして、その気分の良さが「本物」であるかどうか(心のどこから来ているか)を見極めることが大切ですね。

 

Q3: 私にはお金を貸している人がいます。相手を赦しながらも、自分のお金を返して貰うよう求め続けることは可能ですか?実相のレベルにおいては何も起こっていないと知っていますが、行動のレベルではお金を返して貰いたいです。これらを両立させるにはどうしたら良いですか?

シンディ:私もそんな経験があります。この世界のレベルではそういう事が起こります。私たちから盗むように見える人もいますし、お金を借りる人だっています。職場環境で然るべき職務を果たさない人もいます。あなたが管理職で、仕事をしない部下がいることもあるでしょう。

世界のレベルでこうした事に普通に対処することはできます -- 相手が誰であっても、それらの人々を非難して間違いを認めさせるのではなく、聖霊のやり方を反映した形でごく普通に対応することは可能です。

さて、誰かがあなたからお金を借りている場合、あなたは愛ある形で赦しながらも相手からお金を返して貰うことはできます。ここで大事なのは「何のために」お金を返して貰うのか?その目的は何か?ということです。あなたがお金を返して貰いたいのは、エゴの必要性からですか?欠乏の感覚からですか?誰かに罪悪感を投影して「お金を返してくれないから私の平安が奪われた」と非難するためですか?

覚えておくべきは「このことを自分が相手に投影しているのではないか?」ということです。その投影をいったん心に戻し、「この人がお金を返してくれようがくれまいが、私は平安でいられる」と言うことが鍵なのです。なぜなら、真実には何も起こっていないから。そこには私からお金を取っていった誰かなどいません。「私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない。(L5)」のです。動揺するのはエゴの解釈を選んだ時だけです。

赦しは心のレベルで行うことができます。と同時に、その状況を聖霊の目的に使うのであれば、私たちは愛を反映した方法に導かれます。なので、赦しながらもお金を返して貰うこと自体には全く問題はありません。ただ、それがどの目的から来ているのかについては自問するようにしましょう。赦しを実践しながらも、夢の中で「普通」でいることは可能なのです。

 

*****

今回のQ&Aで、Q1の「否認」に関する質問が、10/14にJACIMで公開されたばかりのビデオ「V#40: 「否認」の見分け方」の内容とちょっと重なるのがタイムリーだな〜と思って聞いてました。イヤな気分になったら明らかにエゴだと分かるのだから感覚は大事、というシンディの回答は簡潔で分かりやすく、役に立ちそうです。

 

ちなみに博士のビデオの方は「自我を否認している時と、自我から離れつつある時の違いを見分ける方法」について詳しく話してます。「なぜ自分が自我を選択したのか理解する(=価値判断せずに自我を見る)」事が大切であり、自分が見たくないものに目を塞いで聖霊に丸投げするのは否認ですよ、という内容でした。相変わらず、深い。

 

FACIM読書会 10月 Chapter 3 (その2)

10/5。

 Journey本Chapter3のメモ後半です。個人的に目からウロコだったのは、後ろのほうの「灯台のたとえ」です。確かにFACIMには"The Lighthouse"という立派な会報誌があるしプチ自伝にもモントーク岬(灯台あり)のエピソードが出てくるので、「博士はきっと灯台がお好きなのねウフ♡」とか軽々しく考えてましたが、全然もっと深い意味だったわー。。。博士スンマセン。。。orz

 

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
Kindle変換後のNo.と紙本のページを併記してます。


★Chapter 3 (p92〜)

No.3268/p92 The concept of judgment has two meanings in the Course...
・コースで「判断(judgment)」という時は2つの意味がある。ひとつは「非難・糾弾(condemnation)」という意味。コースで判断を手放す、などと言う場合は他者を非難するのをやめるということ。
・もう一つの意味はもっと大きな意味合いで「選択性(selectivity)」のことであり、選択肢が存在することを示している。このことは知覚の世界では非常に重要となる。
・もちろん、どちらの意味であっても天国においては真実ではない。それはこの二元性の悪夢の世界においてのことである。

No.3276/p92 Indeed, without judgment, existence here would be...
・実際、判断(judgment)がなければ、この世界に存在することは不可能。
・例えば私が執筆をするとき、いちいち触感や嗅覚や音や色彩などに注意を払っていたら専念することができない。私は無意識のうちに書き物に関係のない選択肢を排除するという判断を下すことになる。

No.3300/p93 There is an important implication here: everything that is...
・知覚され得るもの、象徴であるものは真実ではなく、神からのものではない。象徴そのものは重要ではなく、そこに「何が」象徴されているかの方が重要。私たちが関係性を癒すことは、我々が神の子であるという認識に戻ることを象徴している。

No.3317/p94 Jesus speaks of what we all have become masters at...
・私たち全員が得意とするのは、何かを受け入れがたいと判断し、それを抑圧すること。心の奥底に押し込み、それが魔法のように消えたと考える=ダチョウ症候群。(自分注:ダチョウは危険が迫ると頭を砂の中に突っ込むと言われる事から、問題を見たり体験したりさえしなければ消えるだろうという態度を指す)。
・しかしフロイトは、抑圧されたものは私たちの体験や夢やシンボルや攻撃の考えなどとなって投影されると示した。

No.3334/p94 To foreshadow what we will be speaking about in...
・赦しはJの目を通じて言う:「あなたが非難している他者とは、あなたが密かに非難している自分自身の写し鏡だ。問題の在り処が示された以上、あなたはこれについて何とかする機会が与えられている。他者への非難とは、実はあなた自身に心に対するものなのだ」

No.3345/p94 If we are not peaceful, it is only because we have chosen to...
・私たちが平安でないのなら、それは私たちが判断(judge)することを選んでいるから。それが全ての病気(dis-ease)と平安の喪失の原因。

No.3366/p95 Once again, what we repress does not disappear, but...
・私たちが抑圧するものが消えることはない。それは無意識のなかに残り、夢の中で表現されることになる。だからフロイトは「夢は無意識の活動を理解するための王道」だと説明した。夢は私たちの内面で何が起きているかを明るみに出す。
・Jはフロイトの概念を用いて、あらゆる夢にまで拡大して適用した。睡眠時の夢だけでなく、起きている間の夢の世界に対しても。

No.3407/p96 Jesus is telling us that he did not deny the level of the body...
・Jの二千年前の時もこのコースでも、肉体のレベルを否定せず日常生活に教えを適用するように言っている。私たちがこの世界に居ると信じているということは、梯子の下の段に居るということ。そこでは我々が受け入れることができ、理解可能な「形態」としての贖罪の象徴が必要となる。
・Jの本質は生身の人間であったことではなく、贖罪の原理(すなわち全ての人々に内在する完璧な愛)であったこと。私たちがこの世界にいると信じる間は、贖罪の想念もなんらかの形態をとる事になる。Jはそうした形態のひとつであり、彼に顕現されていた贖罪の原理を教える存在。
・重要なのはJが唯一の形態だということではなく、私たち全員もいずれは彼のようになるということ。

No.3417/p96 He clearly wanted Helen and Bill to understand, and us as well...
・Jがヘレンとビル、そして私たちに理解して欲しかったことは、彼が代理となって救済することは出来ないということ。彼に出来るのは、私たちの心の中の贖罪の想念として語り続けることである。
・私たちがJの声を聞いたと思う時は、単に私たちが彼の方に振り向いたというだけ。彼を教師として選ぶとき、その愛は、私たちが理解し受け入れ可能な形態としてやってくる。
・もし英語圏の人であればJの声を英語で聞くかもしれない、無韻詩の愛好家であればJの声を無韻詩で聞くかもしれない、心理学者であればJの声を心理学用語で聞くかもしれない。(自分注:全てヘレンに当てはまる例として)

No.3423/p97 Once again, Jesus is a perfect presence of the non-specific...
・Jは私たちの中にある完璧に抽象的な愛の存在。それは灯台のようにただ光を放ち続ける。灯台は何も特別なことはしない。もし船長が光に向かって進もうと決めたらそうするのであって、灯台の光が船を探しに行くわけではない。それは単に海の暗闇を照らすだけ — 贖罪の光が私たちの心の暗闇を照らすように。
→これがFACIMの会報誌をThe Lighthouse(灯台)と名付けた理由。

No.3461/p98 We need not make the choice once and for all. That is the...
・私たちは一度きりの決断を迫られているわけではない。私たちが判断(judge)を放棄したら、神の心の中に消滅してしまうというのが私たちの恐怖の土台となっている。
・だが、このプロセスがそのように進むことはない。私たちは「徐々に」判断への投資を手放していくことになる。私たちが個別の自己ではないという考えを快適だと感じられるまで。

 

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Chapter 3からは以上です。

次回開催は11月上旬の予定なので、それまで精進したいと思います(^^)

 

FACIM読書会 10月 Chapter 3 (その1)

10/5。

久々のFACIM読書会に参加してきました。なんとなんと、毎日コツコツ派のお仲間のひとりがついにJourney本のVol.2に突入しまして「おぉ〜!」と歓声があがってました。もちろん私はVol.1の前半なのですが、こういうキッカケがあると「自分も頑張ってみよ〜(゚∀゚) 」って思えるもんですね。

今回のメモは第三章の分になりますが、5000字ちょっとあるので2分割します。

 

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
Kindle変換後のNo.と紙本のページを併記してます。


★Chapter 3 (p75〜)

 

No.2715/p76 Again, when Jesus speaks of consciousness he speaks of...
・意識とは、分離の想念の後の第1の分裂。意識=主体と客体。我々は常に何かを意識している:この人、自分と呼ぶこの肉体、私の考え、コースを学んでいるということ。
・客体とその客体を知覚する者(主体)はどちらも夢の一部であり、神の全一性から分離している。従って、この誤りを作りあげることも訂正することも、夢の一部であり続ける。

No.2724/p76 One of the defenses the ego introduces at this point is what...
・エゴの防衛のひとつはフロイトが「反動形成」と呼んだもの。=我々が自分について密かに考えている事と正反対のことを信じたり行ったりすること。
・多くの人は、自分が正しく他者が間違っていることを証明することを通して自分に内在する不確かさを隠そうとしている。いくらそうしたところで、内なる混乱は投影され続けるので、さらなる防衛を必要とする。

No.2771/p78 As in Chapter 2, Jesus is teaching the importance of ...
・「(T-3.VII.1:6) 嘘に基づいた思考体系が虚弱であると信じることは間違いである。神の子供が作り出したもので、力が宿っていないものはない。」について↓
・ここでJは心の力に敬意を払うことの重要性について教えている。たとえその心の力が嘘を選んだ結果、虚構の世界を作り出してしまったとしても。ここまで誤創造できるほどの心の力を認めなければ、私たちは永遠に、創造する心の力があるという自覚を取り戻すことはできない。

No.2782/p78 It remains a truism that no one can have power over us...
・私たちが誰かに私たちを支配する力を与えない限り、何事も私たちに影響を与えることができないのは自明のこと。他者や状況が私たちに影響を与えるとしたら、その理由はただひとつ、私たちがその力を彼らに授けたから。
・心の力強さは、まさに私たちが「それを明け渡し、都合よく忘れた」というそのことに表れている。

No.2823/p79 We turn now to why things seem to get worse when we...
・なぜこのコースを学び始めると物事が悪化するように見えるのか?→「はじまりに近づくにつれて、あなたは自分の思考体系が破壊されるという恐れを、あたかもそれが死に対する恐れであるかのように、自分の身に感じる。(T-3.VII.5:10)」
・私は名前があって、歴史があり、身体があり、周囲の特定の人々に囲まれていると知覚しており、これが自分の人生だと思っている。しかし赦しを通じて心の中を見るようになる(=はじまりに近づく)と、自己の土台が揺らぎはじめる。夢の参加者ではなく観察者の立場を取ることが増えるにつれ、自己は不安定になり「自分は死ぬ」と信じるようになる。

No.2835/p80 And this is fear. The ego’s little voice, which never leaves...
・それが(目覚めに対する)恐れ。「これ以上イエスと共に歩んだら大変な目に遭うぞ。心に戻るということは、神に見つかって容赦なく滅ぼされるということだ。それでもいいのか?」とエゴは囁く。
・そして我々は恐れをなして、”安全な友”のもとに駈けもどり、再び自分や他者を攻撃するようになる。我々の思考体系が破壊されることへの恐れからそうするのだ。しかしエゴとの同一化をやめることによって消えるのは、真の私たちではなく、古い自己概念のほうだ。

No.3023/p84 A Course in Miracles is not singling out Christianity because...
・コースでキリスト教用語が使われている理由は、キリスト教が最もJの教えを祀りあげたものだから。コースは西洋世界で最大の愛の象徴を用いて、その間違いを訂正している。

No.3189/p90 We thus return to the bridge of true perception that leads us...
・我が家へ戻るための架け橋となるのが真の知覚。これは真実そのものではないが、一見分離している神の子らの間に分離を見ない、ということの反映となる。つまり全ての神の子の中に、同じように誤った心、正しい心、決断の主体がある、という内在的な同一性をみること。

No.3240/p91 This is also the essence of forgiveness, the core of our...
・私たちは真実の全一性を知ることはできない。しかし私たちが分離の信念を通じて投影した相手の中に、その(全一性の)反映を見ることを学ぶにつれ、心のレベルでは神の子には違いがなく、赦しという目的においてひとつであると知る。

No.3248/p92 This theme of one person being all persons is central to the...
・ひとりの人間が全ての人々であるというテーマは、どの部分にも全体が含まれるというホログラフィックな原理を表している。
・神の子の一部を完全に知るということは、神の子の全体性を知るのと同じこと。

 

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。。。というわけで、Chapter3 (その2)に続きます!

 

10/17追記:

JACIMフォーラムで有料の講義室の申込がいよいよ開始になりましたね!しかもなんと加藤先生が直々に博士のJourney本のワークブック編(JTW)を解説してくださるとの事でビックリです!我々が読んでるのがテキスト編(JTT)なので、これでJourney本のすべてに触れられる事になるのも嬉しい(^^)

★今回は早い者勝ちではないので、焦って申込む必要がないのも素敵だと思います。誰でもいつでも申込むことができ、自分のペースで学習を進められる形になるなんて理想的。また、有料になったことで我々学習者がJACIMの運営をサポートできる形になったのも嬉しいです。→ペイパル(PayPal)アカウントがあれば簡単にUS$払いできて便利!為替レート考えると銀行振込よりもお得です☆