ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

FACIM読書会 3月 JTT Ch.8 (その2)

3/21(つづき)。

ちなみに、今回のCh.8でやっとJourney本(JTT)のVo.1 (1冊目)を卒業です。正直、始めた頃は1冊でさえ読了する自信なかったけど、みんなと会うのを楽しみに続けられたお陰で、意外とすんなり最初のチェックポイント通過できました。嬉しい〜☆
(でもあと3冊あるんすけどね。。。w)

というわけで、Ch.8の後半いってみます↓
 

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

  

★Chapter 8 -- The Journey Back  p226〜(続き)

 

The Body: Attack/Sickness versus Healing  p226〜 (続き)

No.7733/p226 This returns us to our oft-quoted principle, but with a different..
(T-8.IX.5)「聖霊には誤りの度合いが区別できない」より:
・このことは「癒しに難しさの序列がない」という話に戻ってくる。癌も、エイズも、心臓疾患も、足の捻挫も、聖霊には見えていない。聖霊に見えているのは、心が赦しの決断に対する防衛のために罪悪を選択したという事だけだ。
・だから私たちが聖霊に具体的な問題への助けを求めるとき、自分たちの恐れに満ちたイメージへと聖霊を置き換えてしまっている事になる。
・実際、聖霊は存在しないものを見ることが出来ないからこそ、誤りの度合いを区別できない。そこには1つの誤りしかない:自我の恐れを選ぶこと。そこには1つの訂正しかない:聖霊の愛を選ぶこと。

 
Forgiveness  p226 (No.7741)

No.7754/p226 This passage is not really understandable without remember...
(T-8.III.4)「誰に出会うときも、それが神聖な出会いであることを思い出しなさい...」より:
・この段落ではコースで中心的な二つの原理、「想念はその源を離れない」と「投影が知覚を作り出す」を思い出す必要がある。私たちが心に隠し、投影を通じて手放そうとしている罪悪の「想念」は、心の中の「源」にとどまる事になる。だが自我は「想念はその源を離れる」と教える。そのようにして私たちがそれを「投影」した以上、私たちはそれ(罪悪)を兄弟の中に「知覚」することになる。

Teaching and Learning  p228 (No.7792)

No.7799/p228 Remember, the motivation for our learning this course is pure..
・覚えておくべきは、私たちがコースを学ぶモチベーションが純粋な利己主義だということ。Jが私たちにコースを学ぶよう求める理由は、別にコースが高貴だから/美しいから/真実だから/Jがやれと言っているから...ではない。
・私たちがコースを学ぶ理由は、それが私たちを気分良くさせてくれるから。だからこそJの教えは、自我から学ぶことが私たちを不幸にすること、そしてJから学ぶことが私たちの想像を遥かに超える幸福をもたらす、ということを強調している。

No.7806/p228 The ego says: “Listen to me. Follow my guidance on special...
・自我は「よく聞け。特別性の導きに従えばお前は幸せになれる」と言う。私たちは自我の嘘に耳を傾け、その教えに従い、そして必ず失敗する。上手く行かない人間関係を次から次へと繰り返す、前の仕事よりも満足できない仕事を繰り返す、など。この世界で平安や満足をもたらすもの、真に上手くいくものなど一つもない。

 

Jesus  p231 (No.7901)

No.7916/p231 The problem is that the loneliness is part of the same thought..
(T-8.IV.2:4-6)「...この世界の孤独の中でも、もし私があなたと共に居るなら、孤独感は消え去る」より:
・ここでの問題は、その孤独感というのがまさに、私たちという形で表現されている”分離の想念”に属しているということ。もし分離と孤独感が消え去ってしまえば、私たちも消え去ることになる。だからこそJと繋がることは非常に恐ろしいのだ。
・私たちがJのイメージをこしらえて(個別性や特別性を認識してくれるようなJ)、それと繋がろうとするのはそのためだ。だが、それは彼がここで言っていることとは正反対である。

No.8006/p234 Some think that death is freedom because they believe they...
・一部の人々は、肉体の死が解放だと考えている(肉体から自由になるため)。しかし自由というのは唯一心のものであり、肉体とは何の関係もない。自由の「想念」への選択(贖罪)こそが、私たちを愛と創造へと解放する。

No.8032/p234 Although we are not yet ready to accept the Atonement for...
・たとえ私たちに贖罪を受け入れる準備ができていなくても、私たちはその実在(一体性)の反映を選ぶことを学ぶことはできる。まずJと繋がることにより、私たちは「共通の関心」と「全的な包含性」という彼の思考体系を選択する。これはつまり、「特別な関心」と「排他性」という自我の思考体系に対抗する選択である。
・Jと繋がることにより、私たちは全員が等しく狂っていることを認識すると同時に、全員が自我の分離の夢からの目覚めを必要としていることを認識する。
・私たちの目的は、この認識を全ての人間関係について、毎日/毎時間/毎分適用し続けることだが、私たちがどれほど速やかにそのことを忘れるか。私たちは物事を裁かずに見つめたり、コースの美しい言葉を読んだり聞いたりするが、それが私たちの個人的なニーズに合致しなければ脇に押しのけてしまう。
・つまり、私たちの心の一部は依然として特別性の偶像を崇めている。だから私たちはJの歌を繰り返し聴く必要がある。それが私たち自身のものとなるまで。

No.8076/p236 We will consider this thought in greater depth in the chapter...
「(T-8.V.5:4-6) 平安への道の途中で恐れが侵入してくるときはいつでも、その理由は、自我が私たちと一緒にその旅に加わろうとしてそれができないからである。敗北を感知して怒った自我は、自分が拒絶されたと見なし、報復しようとする。」について:
・私たちは後の章でこれについてより深めていき、自我の邪悪で報復的な性質について探索していく。もちろん真実には、自我が何か(邪悪な報復)をするわけではない。それは私たちの分離した自己が、その思考体系を手放そうとするときに経験する恐れの表出の事を指している。

No.8113/p236 Recall that the ego is not a devil or an entity operating in the...
・自我は別に悪魔などではなく、心の中でうごめく実体でもない、ということを思い出して欲しい。それは私たちの分離した自己が、その特別性を失うことに対して恐怖に怯えている状態に過ぎない。

Closing  p237 (No.8122)

No.8159/p238 To state it one more time, health has nothing to do with the...
・繰り返すが、健康は肉体とは何の関係もない。どのみち聖霊と神には肉体はない以上、その健康とは一なる心の完璧な全体性なのだ。私たちもその全体性を構成する一部分として不可欠である。
・私たちがいかなるレベルで感じる不快感/病気(dis-ease)であれ、それは私たちが「神の子を有罪と見ることによって、全体性という健康から自分たちを切り離す選択をした」ことに起因している。

 

*****

Chapter 8 からは以上になります。

次回からはいよいよJourney本(JTT)のVol.2をやっていく予定デス(^^)

 

FACIM読書会 3月 JTT Ch.8 (その1)

3/21。

前回の読書会はグループ通話だったけど、今回はちょっと趣向を変えて郊外のお店で久々に顔合わせです。しばらくぶりだったので、積もる話(主に脱線話w)に花を咲かせたり、オススメ本などで盛り上がった一日でした!外出自粛ムードが続いてるけど、久々に顔を合わせることができて嬉しかったです。なんか元気でてきた(^^)

今回シェアしたCh.8の要約、いつもどおり2分割して紹介します。

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
※電子本のePub→Kindleに変換のうえ、Kindle版のNo.と紙本のページを併記してます。

  

★Chapter 8 -- The Journey Back  p207 (No.7082)

 

Oneness - The Hymn to Our Self  p208 (No.7111)

No.7203/p210 Interestingly, the gospel parable is not really about the...
・(T-8.VI.4の放蕩息子の例え話より) 興味深いのは、この福音書の例え話は放蕩息子についてのものではなく、父親の愛についてのものだということ。Jはこの素晴らしい物語を使って、私たちが創造主を滅ぼしたと信じた事による罪悪感や恐怖について伝えてくれている。
・贖罪の真実とは、父の愛を揺るがすような事は何も起こっていなかったということ。私たちの心が癒されるにつれ、これがただの悪い夢だったと認識されてゆく。

The Ego’s Fear of Our Choosing Oneness  p212 (No.7257)

No.7260/p212 While in A Course in Miracles the term knowledge is a...
・コースにおける「智識」とは愛、真実、実在と同義語である。それゆえ、私たちは智識への達成のためにコースを学ぶべきではない。
・そうではなく、私たちの学びのモチベーションは、奇跡が全ての苦痛と葛藤からの解放を差し出してくれることにある。私たちはそこで初めて、平安と真の幸福を感じられる。つまり平安の達成は教わる事ができるのだ。それが生徒のモチベーションになる。

No.7290/p213 We cannot expect the ego to say “I am not real” any more...
・自我が「私は実在しない」と言うことは期待できない。私たちが鏡を見ながら「この姿は実在しないし、自分だと感じたり考えたり体験する自己もない」と言うことも、同じくらい期待できない。
・Jは私たちがそのように言うことを期待してはいない。だが、Jは私たちがそれを言わない事による結果(痛み/苦悩/不幸)を学ぶことについて、手助けを求めるように言っている。それらは自我の声を聞くことを選んだことによる結果である。
・私たちが意味のある選択をするためには、私たちがなぜ自我を聞くことになったかを理解する必要がある。

No.7320/p214 Jesus is asking: “Why do you complain about not being...
・Jは尋ねる。「あなた方はなぜ平安でないと文句を言うのか?自分でそれを投げ捨て続けているというのに」
・私たちが平安から自分を除外する理由は、神の王国の一体性など欲しくないから。私たちはそれと正反対の世界を作り出し、勝つべき戦争があると言い続けている。その戦の証人たちは、自我の本質である虚無の影にすぎない。

No.7353/p215 If we do not hear the Holy Spirit’s Voice, it is not because He...
・私たちに聖霊の声が聞こえないなら、それは聖霊が(小さな声で)囁いているせいではなく、私たちがそれを聞かないという選択をしているからだ。

The Body: Attack/Sickness versus Healing  p217 (No.7419)

No.7436/p217 Using the same body that the ego made to attack and be...
・自我は攻撃したりされたりするために肉体を作った。聖霊はそれと同じ肉体を用いて分離の投影を巻き戻し、心(の中の決断の主体)に戻ることを教える。そして神の子が心を変えることにより、分離の象徴(別々の関心)が、繋がり合いの象徴(共通の関心)へと変容する。そうなって初めて肉体の目的が神聖になる。

No.7516/p220 Our unified purpose has now shifted from guilt to forgiveness...
・私たちのひとつの(統一された)目的によって、罪悪は赦しへ、別々の関心から共通の関心へとシフトする。そして私たちの「神/我々/他者に対する攻撃」は何の影響もたらさなかった事が見えてくる。私たちの誤りは優しく訂正され、罪悪の悪夢は、幸せな夢へと静かに変容する。
・Jは私たちの目に見える肉体を否定するように求めてはいない。しかし、自我が肉体に与えた「分離と特別性」という目的のほうを否定する事を求めている(正しい心による否定)。

No.7545/p220 Health is a meaningful concept only because it is the...
・「健康」という概念が意味を持つのは、それが「病の訂正である」という事においてであり、肉体とは何の関係もない(病の概念が肉体とは関係ない事と同じように)。
・病とは単に心が自我を選択した状態であり、健康とは聖霊を選択した状態。しかし心はその2択のうち一方を投影するため、私たちの物理的な自己(肉体)はこの「病か健康か(攻撃か赦しか)」の選択が投影されたものを体験することになる。
・だが、(病も健康も)どちらも幻想である。なぜなら非二元的な実在である完全な一体性においては選択は不可能だから。選択が存在できるのは、二元性という幻想の中だけの話なのだ。

No.7577/p221 We have been convinced of the need to rely on the ego’s...
・私たちは自我の導きを信頼しきっている。そしてその導きが常に失敗ばかりだったという事に気づかない間は、何度も何度も自我に頼ることになる。だがいつかは自我に助けを求めるのはおかしいと気づき、最終的に「別の道があるはずだ」と言うことになる。

No.7663/p224 Healing is a “collaborative venture” because the problem of...
・癒しが「共同事業である(T-8.IV.4:8)」理由は、病が”分離の問題”であるのに対し、癒しが”私たちが共通の目的で繋がっている”という認識に依っているからである。
・Jが「救済は共同事業である(T-4.VI.8:2)」と言う時の共同(collaboration)には二重の意味がある:①私たちが赦しを学ぶためJと共同で行うこと。②そのために兄弟たちとの協働を受け入れること。
・のちの章には「平安の箱舟には二人ずつ乗り込む(T-20.IV.6:5)」と書いてある。つまり、神のひとり子が一体性という自然な状態に復帰するにつれ、自我の原理である「どちらか一つだけ」はゆっくりと訂正されてゆく。

No.7680/p224 Healing’s purpose is not to help a body feel better or even to...
・癒しの目的とは、肉体の調子を良くすることではないし、世界平和を達成することでもない。それは、神の子の分離の信念が克服されゆく手段である。
・赦しの目的を他者と分かち合い、キリストの心眼(=断片化した神の子たちに内在する同一性を見ること)を獲得するにつれ、決断する心は癒されてゆく。

No.7711/p225 Jesus is telling us not to ask the Holy Spirit to heal the body...
・Jは私たちが聖霊に「肉体を治癒してください」と求めないように言っている。なぜなら肉体は問題ではないからだ。なぜ、文字通り無であるもの(肉体)を癒すよう求める必要があるのか?
・肉体は単に、心の罪悪感の影に過ぎない。私たちがこの世界に居ると信じている間の肉体の唯一の価値とは、それが私たちを正しい方向である心へと向かわせることだ。


*****

ここまでCh.8の前半ですが、心に残ったのは「健康 / 癒しとは心のものであって肉体とは関係ない」という事が繰り返し言われていたことです。このへん、テキストだけだと「健康=肉体の健康」「癒し=肉体の治癒」のようにも読めてしまったりするので(私だけか?)、こういう時に博士本を見たほうが誤解をなくしやすい良い例かな〜と思いました。

。。。というわけで、Chapter8 (その2)に続きます!

 

仕事での経験、無駄じゃなかったかも

3/10。

たまにはニートな近況など。じつは2月ごろからのコロナ報道で気持ち的にザワザワしてたのですが、引きこもり生活してるくせに何をビビっているのやら(^^;)。

自分一人の問題ならまだしも、高齢の両親をリスクに晒す事を思うと、どこまで自由に行動するか判断が難しいところです。でもこんな時だからこそ、音声通話などのIT技術を活用するようになり、やりとりの幅は広がったかも。

あと最近、個人的なプチ事件なんかはTwitterで気軽に垂れ流してますが、手軽に心を整理するのに良いツールだなぁと見直しました。割と動揺した出来事も、たった140文字にまとめてしまえば「大した事ないな」って気分になれるので。(^^)

その流れのなかから、個人的にインパクトのあったところだけ抽出してみます:

 

クロトワ課長の電撃異動

コロナ騒動で2月からずーっと引きこもってた私のところに、驚きのニュースが入ってきました。なんと、クロトワ課長が他部署に電撃異動!しかも本人は英語やら国際戦やら超苦手なのにいきなりUS出張デビューとか。(たぶん本人希望ではなく、ワンマン新社長の抜擢と思われ)

これ、クロトワ課長にとっては出世コースだし、異動先の部署では威張れないだろうし、私が元いたチームにとっては「パワハラ上司がいなくなってハッピー!」という全員が嬉しい展開です。それにしても、まさか彼が手塩にかけてきた(権力を振るってきた?)チームを去るなんて夢にも思いませんでした。すごいな、こんな事ってあるんだ!

私が居た時代にこんな劇的シフトは全く考えられなかった事を思うと、恐らく8年間もクロトワ課長にパワハラ役を投影し続けてきたのは、他でもない自分だったのでしょう。。。orz

でももう、そういうのリアルにする必要ないからいいんだ。(´∀`)

 

ペン画だけでなく着彩も開始

やっと関心事として定着しつつある(?)お絵描き方面では、いままで続けてきたペン画による模写のクォリティを上げる取り組みをしてきました。作品点数は少ないですが、2/4 ソニック・レーシング、2/26 アフガンの少女、など。特にアフガンの少女は完成までに20日近くもかけた(寝かせたともいうw)やつで、色んな意味でこれまでの「ペンでの模写」についてある程度の達成感はあったかも。

で、その次に挑戦したのが、去年11月からやってきたラクガキ作品への着彩です。やっと重い腰をあげ、長年放置していたスキャナを使えるようにし、去年から指一本触れてなかったペンタブを再接続し、期限切れで出禁になってたAdobe寺に高額のお布施(死にそう...orz)をして、着々と塗り絵環境を整えていったのが2月下旬ごろ。

その甲斐あって、3月に入ってから次々にリリースしたのが、3/2 マグカップ(着彩)、3/4 水晶の原石(着彩)、3/6 小型BTマウス(着彩)、3/9 冬毛のきつね(着彩)、といったデジタル塗り絵作品でした。この色塗り作業が意外と楽しくて、自分でもびっくりだったのです。というのは、これまで「イマジネーションだけで描く力はもうないから、ひたすら模写をするしかない...」という我ながら残念な状態だったのが、なぜか色塗りに関しては、いくらでも奇想天外な色の組み合わせが思いつく!なんで??

最初に描くところは時間をかけてお手本を真似ないと無理なのに、どういうわけか配色デザインになるとアイデアが湧いてきます。つまり、模写だからって原画の色を忠実に再現しなくても、自分の好きなように塗るだけでいいんだ!ってことに気がついたというか。しかも、脳内ではすでに完成カラーが見えているので、塗る時に迷いがなくて作業も早い!なんかもう自動操縦状態です。空飛んでるみたいで気持ちいい。

こういうの、ホント実際にやってみないと分からないものですね〜。。。

 

ついに自前ギャラリー開設

あともうひとつ、Web技術屋への復帰にも前向きになってきてから考えていた事ですが、ついにWordPress(以下WP)を使ったギャラリーサイト開設にこぎつけました!上記の着彩イラストは全てそこに展示してあります。

じつはこれ、自分史上かなり画期的な出来事だったのです。
ほんとうは、会社で働いていた頃からずっとWPに注目してたのだけど、当時は日中の業務でヨレヨレすぎて、とても週末に別のことを勉強する気力はなく。。。いつか必ず通る道だと心のどこかで分かってはいたけど、何年も尻込みしていたので。

WPというのは、サーバさえ借りれば誰でも簡単に導入できるCMSです。ただ、思い通りのサイトに育てようと思ったら、それなりの経験と知識が必要になります。大雑把にいうと「機能的な拡張」と「デザイン的な拡張」という2つの方向性があり、前者はプログラマの領域、後者はWebデザイナの領域になります。

で、一般的なサイト作りにおいては、どちらかというと見た目を改良するWebデザインのほうが出番は多いわけで、長年仕事でやってきたノウハウがそのまま活かせる!というのは嬉しい発見でした。なので、今回のギャラリー運用を機に、もうすこし技術的な側面からWPの勉強をしてみようかな?と思いはじめています。

ちなみに今回のギャラリーは既存のテーマ(北欧デザイナ作)を使っていますが、無限スクロールを実装したサムネイル一覧がお気に入りです。PC / タブレット / スマホの3種に対応したレスポンシブデザインも良く出来てるし。
早く無限スクロールの威力を実感できる位に投稿を増やしたいな〜(*゚∀゚*) 

 

今までの経験が全て活かせる!?

もともと出不精だったのが、コロナの影響でさらに家に籠りがちになっていたのですが、ここしばらくの進捗を振り返ってみると、お絵描きやWeb方面でささやかなブレイクスルーがいくつかあったので、これはこれで良かったと思います。

今回まとめてて気づいたのは、一見ブレイクスルーのように思えたことも、実際には今まで仕事で培ってきたノウハウの延長にある、ということでした。たとえばデジタル着色のときに「次々に色彩イメージが湧く」のは、仕事で死ぬほどバナー画像を作りまくっていた経験から来ているし、その後のWPサイト構築であれこれ細かい「デザインがらみのカスタマイズ」が出来たのも、なんだかんだで今まで仕事で毎日コーディングしてた経験がモノを言ってるのは間違いないので。

そもそも、私にとってのアナログお絵描きというのは、長年のブランクがありすぎて、もはや「未知の領域」でした。そこに踏み込むには、過去の経験はすべて忘れるくらいの覚悟が要るような気がして、ビビってたのを覚えています。実際、PCを使わずに紙とペンで絵を描くようになってからしばらくは本当に技術的なことから遠ざかってたし。。。

でも今になってやっと、いままで頑張ってきた事をひとつも無駄にすることなく活かせるかもしれない!?という新たな手応えを感じはじめています。もちろん、相変わらず1円も稼げないニートである事は変わらないですが。。。なんとなく、今はこの方向性でそれほど間違ってはいない気がしてきました。

きっと、与えられた自由な時間の過ごし方にもいろいろあって、「うぼあ〜、稼げない自分は価値がない...orz」と嘆きながら過ごす事もできるし、「今は特技を伸ばすことに専念しよう、結果は後でついてくる(゚∀゚)」と思いながらクリエイティブに過ごす事もできるのでしょう。

辞めてから1年近く経ってますが、やっと少しずつそのへんの違いが見えてきたところなのかも知れません。

 

ゲイリー達のオンライン講座 (36)

3/6。

日本時間2/25に、ゲイリー講座のQ&A祭りPart 2が配信になりました。前回インフルでお休みしてたシンディも復活してて、久々に2人揃って良かったです。Q&A祭りはとても面白いので、私も楽しみにしてます。(が、数分おきに話題がコロコロ変わるので、メモ取りは普段より難易度UPだけど... *゚∀゚*) 

 

Q&A祭り Part2

今回もゲイリー&シンディ2人で、大小併せて26もの質問をやりました。通常の質問は12だったのですが、それ以外にもメールで来た質問や、チャット上の質問(もどき)なども全部入れたら、なんだかんだで前回と同じくらいの量になってたという。新型コロナウィルスなどの時事ネタもあったので3つほど簡単に振り返ってみます:

 

Q2. アルツハイマー病(認知症)のひとや、自閉症の子供達というのは、霊的なレベルではどのような事が起こっているのですか?

(0:16) ゲイリー:誰かがアルツハイマーだったり自閉症だったりするとき覚えておきたいのは、だからって彼らの霊性には何の問題もないということだ。彼らは神の完璧な創造物なのだから。それが彼らの真の姿なんだ。

Jがどうやって人々を癒やしたか思い出してほしい。Jはアルツハイマーとか自閉症といった形態には構わなかった。ただそのことに気づくだけだ。でもそのことに拘泥しなかった。分析もしなかった。そしてそれを見過ごした。肉体を見過ごし、病気を見過ごし、その人の真の姿である神の完璧な創造物としてみた。(君も)そうすることで、君の中の聖霊の部分と、彼らの聖霊の部分が融合するんだ。

(その人の)台本によって病が治ったり治らなかったりするが、忘れてはならないのは、あらゆる病気が形態のレベルで起こるということだ。それはエゴの台本の一部にすぎず、分離以外の何ものでもない。アルツハイマーの一部は「否定(denial)の表現」として現れている場合もあるかも知れない。だが、その人に問題があるのではなく、ただエゴがそれを演出してるだけだ。

エゴは象徴的(symbolic)なものなので、あらゆる分離の象徴を持っている。君がすべきことはそれらを見過ごし、霊(spirit)を自分の心に持ってくること。肉体を見過ごし完璧な存在と見ること。それで一見、何かが起こるように見えようが、何も起こらないように見えようが、必ず"何か"は起こっている。奇跡は決して失われないから。この幻想で(彼らが)一時的にどのような状態に見えようとも、彼らが神が想像した通りの完璧な存在であると見ることだ。

 

Q4. この幻想の世界で実際に行動をするかどうかについて、どのように聖霊に尋ねているのか具体例を教えてもらえませんか?例えば、ある場所で講演をすべきかどうかとか、ハワイに移住するかどうか、といった事などです。

(0:28) ゲイリー:僕の場合はシンプルだ。聖霊にただ聞くんだ。最近だけど、9月に初めてポーランド講演に行く話が来た。僕の行動には2つのルールがある。ひとつは僕のルールで、もうひとつは聖霊のルールだ。

僕のルールは「招待されたら行く」で、自分から何かを起こそうとはしない。誰かから具体的に招待された所にしか行かない。そして、誰かに呼ばれたら、それから聖霊に尋ねる。「僕はポーランドに行くべきかどうか?」ってJに聞くんだ。すると10回中9回は答えはYESだ。しかしたまーに、答えがNOなこともある。そんな時は行かない。

何で答えがNOなのか僕には全く見当がつかない。だけどそんなことは関係ない。僕は聖霊を信頼すると決めたのだから。だが、まずは聖霊に聞かなければならない。

(0:49) ゲイリー:その話に付け加えたいことがある。シンディが証人だが、じつは興味深い事があった。去年の秋ごろに、中国を再訪するという話が持ち上がったんだ。もし行く事になってれば、ちょうど今頃の訪問だったはずだ。

もちろん、僕は中国に行きたいと思っていた。だからそのことを聖霊に尋ねた。ところが聖霊の答えはNOだったんだ。僕には全く意味が分からなかった。NOと言われてがっかりしたが、聖霊を信頼することにした。そこで中国には「今回ではなく一年後かも」と返答しておいた。蓋を開けてみると、今まさにコロナウィルスで中国全土がシャットダウンしている、というわけだ。(シンディ:もし行ってたら何週間も帰って来れなかったかも)。

僕らには、聖霊の導きの理由を知ることなんて出来ない。だが、聖霊の声を聞く意欲は必要だ。そのとき聖霊にNOと言われて意味が分からなくても、ひと月後に理由が分かったりするのだから。

 

Q12. 2人ともインフルエンザから回復して嬉しいです!(世界的な)コロナウィルスの大流行という幻想について何か洞察はありますか?

(0:62) ゲイリー:本当のところ、僕らがコロナに感染してたかどうか分からないんだけど、何週間か前にLAのConscious Life Expoというイベントに参加したんだ。会場は多くの人々でとんでもなくぎゅうぎゅう詰めだった。そこにアジアの人々も多くいた。コロナはアジア諸国で猛威をふるってるね。

コロナ感染によって、一部の国では死者が出ている。それが深刻でないとは言わないけど、同じ時期にアメリカでは10000人ものインフルによる死者が出ているのに、そのことは話題にもならなかった。コロナのほうが目新しいからという理由でね。

エゴはそういう話で人々を怖がらせるのが大好きだ。エゴはそうやって問題を実際より深刻に見せかける。今後、コロナ感染がより深刻になるかどうかは分からない。だが、僕らの仕事は何が起ころうと赦すことだ。事態がより深刻になろうがなるまいが。

チャンスとしては、暖かい季節になれば、他のウィルスと同じように死滅していくかも知れない。今後何ヶ月かのうちにそうなることを願ってる。収束することを祈ろう。

 

*****

ゲイリー講座の視聴者の多くは欧米人なのですが、時事ネタであるコロナウィルス関連については、思っていたより海外での関心が高いことが分かりました。(というか、やっと彼らにとっても対岸の火事ではなくなってきた時期だったのかも)

今回のQ&Aでは他にもセックスについての質問とか、自信のなさ、精神病について、果ては愛猫ルナがA&Pを目撃した時の反応まで、様々な話題で盛り上がったのですが。。。時期的に関心が高いコロナ関係のやつを選んでみました。

なお、2番目に紹介した「具体的な行動を聖霊に導いてもらう」件について。ヘレンとかゲイリーにとっては、Jに「どう行動すればいい?」尋ねてYES/NOの返事が返ってくるのはシンプルなことかも知れませんが、私を含めて大多数の一般ピープルがそこを目指すと高確率で挫折する & あさっての方向に行ってしまう恐れが。。。(サイキックな自覚のある方は別として)。なので、これはゲイリーあるある的な面白ネタだと思って楽しむ位で良いかと。(^^)


余談ですが、"聖霊に具体的なことを尋ねる"ことに関するコース的な見解は、加藤先生が「原因についてのコース」小冊子p30-33で述べている内容が非常に分かりやすいです。ちょっと長いので引用はしませんが、お手元にある方はぜひ!

あとネットで読めるものとしては、JACIMの博士Q&A「No.8 (#11)「聖霊の声を聞く」ということについて」もおすすめです。

 

20歳のアルゼナ、初インタビュー

3/3。

ちょっと前になりますが日本時間で2/13ごろ、シンディのメルマガでアルゼナちゃん初インタビューのお知らせあり。気になるインタビュアーはシンディの姉妹であるジャッキーです。ポッドキャスト配信されたものを聴いてみました。

アルゼナって誰?という話はこちら 

メルマガに載ってた写真はこちら(アルゼナ/ジャッキー/シンディ)

 

アルゼナ初インタビュー (by ジャッキー)
True Forgiveness Teachings -- Jackie Lora Jones
https://www.blogtalkradio.com/trueforgiveness/2020/02/11/in-the-spirit-of-the-scribe

 

現在20歳の大学生で、奇しくもヘレンと同じ心理学を専攻しているアルゼナちゃん。インタビューでは、ティーンネイジャーっぽい軽やかな口調で終始笑いながらACIMについて話してたのが印象的でした。コースやってる人なんか楽しそうだな〜!って思わせてくれる軽やかさこそ、人生疲れた学習者に不足しがちな成分かも。それを笑顔で補給してくれる彼女に今後も注目したいです。インタビュー、駆け足でまとめてみます。

 

自己紹介:本名はアルゼナ・イリヤ(Alzena Ilie)で、現在はノバスコシア州(カナダ)のダルハウジー大学で心理学を専攻中。学業のかたわら、ピアノ教師として子供達にピアノを教えたりもしている。

コースとの出会いトロント(カナダ)に住んでいた5歳ごろ、母親がコースを始めて家中にコース関連本があった。7歳ごろ「この本はなに?」としょっちゅう尋ねるアルゼナに、母が「これは霊性の本よ」とコースについて教えてくれた。子供ながら両親が毎週参加しているコース学習会について行くようになる。8歳の誕生日に奇跡講座をおねだりして、ワークブックを開始。

ゲイリー達との出会い:2008年5月、母と一緒に行ったカナダ講演にてゲイリー初対面。「生涯彼を知ってる気がした」とのこと。すぐにゲイリーと仲良くなりメール文通を始め、お互いを "親友すぎる友達(My bestest friend)" と呼ぶように。その後シンディとも毎日メール文通するようになった。「シンデイは私の2人目のママ(笑)」

ワプニック博士との出会い:2009年4月、博士が講演でトロント来訪。その最初の夜にケン(博士)、グロリア(奥さん)と一緒にイタリア料理店で食事。「その時ケンは襟にナプキンを突っ込んで、"私がスパゲティのソースを散らすからこうしろと妻が言うんだ(笑)" って言ったわ」との微笑ましいエピソードも。そして博士と仲良くなり手紙で文通を始め、そのやりとりは博士が亡くなるまで続いた。アルゼナは博士のことを「ケニーベア(Kenny Bear※)」と呼んでた。 ※テディベア(Teddy Bear)のもじり。

ジュディ・スカッチとの出会い:ゲイリーとシンディの縁で、2009年11月にジュディがメールをくれた。そこからジュディとメール文通が始まり、人生のことや過去生のことなど色々と話した。ジュディはアルゼナにとっておばあちゃん的存在となった。

ヘレンに対する関心と共感:子供の頃コースを始めてからヘレンに対する好奇心が芽生えた。奇跡講座の著者は誰かと母に尋ね、ヘレンの事を教わった。後にジュディとやりとりするようになり、ヘレンやビルの生前の話を聴くようになった。「ヘレンのエピソードを聞くとその時の彼女の気持ちが分かった。『天国から離れて』を読んだときもヘレンの気持ちがよく分かった」とのこと。
(自分注:アルゼナは子供の頃からすでに、博士をはじめFIP関係者からもヘレンの生まれ変わりと目されつつ育ってきたので、ヘレンに対しては自然に関心があっただろうと思います。ですが、本人はヘレンの生まれ変わりとは自称していません)

ヘレンの生まれ変わりだと知った経緯:その後、ケビン・ライアーソン(著名なチャネラー)のリーディングを受けたとき「自分はヘレンの生まれ変わりなのか?」という質問に対して「その通りだ」と告げられた。ただ、(予想通りというか)周囲の誰にとってもサプライズではなかった。このへんのやりとりの抜粋:


(0:24) アルゼナ:(ケビンに過去生を告げられたとき) 別にワーオ!という感じはなくて、ああそうなのね。面白い情報ね。でもこの人生を続けるわ、といった感じだった。だって、 過去に誰だったかなんて関係ないもの。

(0:26) ジャッキー:このインタビューをやろうと思った理由のひとつは、リスナーの皆さんに「(ヘレンの生まれ変わり)だからって何も特別ではないし、どうってことない。今はアルゼナとして生きてるのだから」というあなたの姿勢を伝えたかったから。生まれ変わりは夢の中でしか意味がないものね。ある人生が他の人生より特別ということもないしね。

 

コースの実践について:インタビュー後半は、8歳から続けてきたという彼女のコース実践についての話がメインでした。以下、アルゼナちゃんの発言などで個人的に興味深かったところをピックアップ↓

(0:38) アルゼナ:人々が(コース実践の)進捗を知る方法についてだけど、「ワオ、なんだか前より早く赦せるようになってきた!」って事だと思う。以前より軽く感じるようになって、世界の問題から少しずつ自由になってハッピーになるの。これはすべて自我のことであって、リアルでないと分かってくる。一日の終わりに「このすべてがどうってことない」と思い出すことは大事ね

(0:40) アルゼナ:10歳にとっての問題といえば身近な友達や家族のことかな。彼らの事ですごく悲しくなった時にそれを手放すのは難しいし、心も何もかも重く感じてしまうの。ただ、どんな状況であろうとも聖霊(J)は私の導きの光。だから「このことから影響を受けないようにするには、どう乗り越えるべきか、どう手放せばいいか?」と聖霊に訊ねるようにしてる。そうすると、その問題が小さなことにすぎなくて、どうでもいい(リアルでない)って事が分かってくるの。目の前の問題に見えたものは、じつは自分自身なんだって。
結局、自分を外に投影してるだけなのね。自分で自分にこれをやってて、自分に対して悲しんだり怒ったりしてる。なら、どうして不満にしがみつくのか、どうして自らそれに影響されようとする必要があるのか?ってなるでしょ。聖霊に導きを求めると、そんな風にしてストレスが緩和されていくの。すべてを私が作っていて、すべてが私の投影なんだ!ってね。そんな感じ。

(0:45) ジャッキー:コースの進捗の目安のひとつは「怒りや動揺にどれだけ長くとどまるか」ね。

(0:45) アルゼナ:それはもう100%その通り。自分が赦さないあいだ、どれだけ長く怒りや悲しみと共にとどまるか?ってこと。私はネガティブな感情を強く感じる傾向があるから、自分がその感情に反応する度合いにリミットを設けるようにしてるの。(中略) 進捗の目安といえば、動揺に留まる時間もそうだけど、感情の激しさの度合いも進捗の目安になると思う。以前怒っていたときほど腹が立たなくなってくる、とかね。
 
*****
。。。という感じで1時間ほど興味深いやりとりが続きました。

さて、アルゼナちゃんが本当にヘレンの生まれ変わりなのかどうかは検証不能だし、本人も全然気にしてないようなので、とりあえず脇に置いときます。ただ、彼女が少女時代から親しくしてきた仲の良いお友達というのが、なぜか「コース界隈の重鎮シニアばっかり」だったというのは、なかなか凄いことだな〜と思いました。

あとインタビュー聴きながら妄想してたんですが、もしこれが私だったら8歳の誕生日プレゼントに「奇跡講座」をせがむとかあり得ないし、仮に私が子供時代にコースに目覚めたとしても、こんな芋づる式にゲイリーだとか博士だとかと文通するほどの仲になれるとは思えないな〜。。。とか。(^^;)

というわけで、少なくともアルゼナちゃんは、コースを世に伝える上で決定的に重要な役割を果たした人々と何かしらの深い縁があることは確かなようです。彼女が将来的にコースの教師になるかどうかは現時点では未知数ですが、「そのことについてはオープンな考えでいようと思ってる」とのこと。

個人的には、彼女がいつか教師デビューすることを密かに応援してます。

パートナーとの問題を見つめる

2/26。

日本時間で2/26にFACIMから届いたニュースレターに、博士の講話CD The Attraction of Love からの抜粋が紹介されてました。メールの件名が「パートナーとの問題を見つめる」となってたので、ふーん、私にゃ関係ないかな〜(゚∀゚)と読み飛ばそうとしたら、そういう話じゃなかったです。orz

そこにあったのは、異性との関係における「怒り」をどのように見ていくかという内容で、しかもそれがパートナーの有無に関わらずめっちゃ自分に関係あってショックだったという(ToT)

※今回の抜粋はニュースレター専用でFACIMサイト掲載はありませんでした。時々こういうML読者オンリー話が飛んでくるので、とりあえず原文確保でメルマガ購読オススメです。


Looking at a problem with a partner
パートナーとの問題を見つめる

Student: Whenever I get mad at my partner, there’s always something...
生徒:私がパートナーに対して怒るとき、その奥底には常に、彼(の責任)とは全く関係のない何かが潜んでいます。これが私が見つめるべきものですか?

Kenneth: Yes. This is what really makes you mad. This is what you look at... 
ケネス:そうです。それがあなたの怒りの本当の理由です。それこそが見つめるべきものです。いつだってあなたが怒って喧嘩をふっかけたくなる時には、毎回こう考えてください:まず「自分は怒っていて喧嘩を売りたい」ということを明らかにします。そのことを否定してはいけません。ですが同時に、そのことがあなたのパートナーとは何の関係もないことを認識します。

Student: But he’s a man. (laughter)
生徒:ですが、彼は男性ですよ。(笑)


Kenneth: And you married him, right? Well, that helps you look at a...
ケネス:そして、あなたは彼と結婚したんですよね?ならばそのことは、あなたのこれまでの全ての男性歴を見つめるのにも役立つでしょう -- おそらく、あなたが人生で最初に出会った男性から始まって。それが、あなたが見ていくものです。そしてそれを見るということは、イエスが「自我の"力動論"(T-11.V)」というセクションで言っているように 「これを冷静に見させてください」ということです。可能な限り冷静に見ていってください。そして、そこでストップします。他に何もしてはいけません。ただそれを見つめるのです。解決しようとしたり、分析したりしないように。

ただそれを見つめながら、あなたのパートナーの背後に何百人もの他の男性たちがいることを認識しましょう -- あなたの父親を始めとして。そしてあなたの父親の背後には神が存在するわけですが、とりあえずはそれは置いときましょう。とにかくそこには、あなたが言ったように、あなたに対して権力を振りかざした男性たちがいる、ということです。そして彼らはあなたの身体にも権力を行使したでしょう、幼い少女だった頃から。
ですが、そうしたことが今のあなたと何の関係があるでしょう?あなたが彼らをどのように都合よく利用しているかを認識しましょう。そして今、あなたは自分のパートナーを都合よく利用しています -- そうすれば自分自身の見方は何も変えなくて済むからです。それだけのことです。

Think about the line in chapter 27, where Jesus talks about how you end...
27章でイエスが言っていた"全ての苦しみの終わらせ方"について考えてみましょう。「必要なことは、問題を自分が設定したようにではなく、ありのままに見ることだけである(T-27.VII.2.2)」彼が言ってるのはそれだけです。ありのままに見ること。ですから問題はあなたのパートナーではないのです。あなたが彼を問題だとして設定したのです。彼が問題なのではありません。本当の問題は、あなたが本来の自分より卑小な在り方でいようと決断したことです。そしてその責任を受け入れるかわりに「そうね、私が本来の自分より卑小である理由は、私の人生に現れる不愉快な男性たちが私にひどいことをするからだわ」と思っていることです。そしたらそこでストップ。それだけでいいのです。ただ責任を受け入れ、そこでストップします。


The worst thing to do is to try to fix the problem, because there is no problem...
最悪のことは、問題を解決しようと試みることです。なぜならそこには問題など無いからです。その問題はでっちあげです。ですから、あなたが問題を解決しようと試みるときは「そこに問題がある」と宣言することになり、その時点であなたは自我のものなのです。
覚えておいてください。"花崗岩でできた強固な壁も実は薄っぺらなベールにすぎない"というときに、あなたが花崗岩の壁をなんとかしようとして奮闘するのなら、あなたはそれを「花崗岩の壁だ」と宣言していることになります。ですがもし、あなたがそのことを裁かずに見るのであれば、それはただ消滅します。それは無だからです。

ただしこれは、この世界で行動を通じて問題を解決してはいけない、という意味ではありません。それが意味するのはただ、あなたが問題の解決のために行動を起こしているときにも、"そこには問題などない"と認識していることです。あなたはただ行動するだけ。ですが、心理的にその問題に入れ込んではいません。いちど入れ込んでしまうと、あなたはそれが花崗岩の壁で、本物の問題で、自分がそれを解決しなきゃいけない、と宣言することになるからです。

それを本当に解決する方法は赦しです。あなたが赦しを通じて解決するやり方とは、それを見つめることです。するとそれは花崗岩の壁であることをやめます。つまりそれ以上解決すべきことがなくなる、ということです。


ワプニック博士による講話 "The Attraction of Love" からの抜粋

***** 

うーん。。。 

1人の男性パートナーに対する怒りの裏に、今まで出会ってきた男性全員への怒り、ひいては神に対する怒りまでが凝縮されている。。。!?こっちとしてはそんな多層的な話は考えたくないんですけど、自分が今まで男性に噛み付いてきた記憶を辿ってみると、実際そうとしか思えないほど似たようなパターンがたしかに繰り返されてたりするわけです。

つまり、自分が隠し持ってる罪悪感をなすりつける相手さえいれば誰でも良かったとも言えるわけで、私ったらまるで「むしゃくしゃしてたから殺った。誰でも良かった」みたく開き直ってる通り魔と同じじゃーん Σ(゚Д゚)

もっと言うと、仕事辞めて身近に男性がいなくなった今は、最も特別な関係であるパパリンをスケープゴートにしてる可能性が濃厚だし。。。orz
うわー、見つめるのいやだあー。(はいストップ)

 

あともうひとつ気づいたこと。

博士が今回の質問者に対してかなり核心を突いた指摘をしているのは、この質問者がすでに多くのことに気づいていたからだと感じました。受け止めレンジが広い人に対してはストレートに真実を伝えてくれるという、分かりやすい例かも。

逆に、もし質問者がビギナーさんだったら、あるいは性犯罪の被害者だったら、もっと別の伝え方をしただろうな、ということです。当たり前といえば当たり前ですが。

 

博士の回答は決してブレないけど、必ず相手の許容範囲(安心して受け止められる範囲)に応じた言葉を選んでいる、といった親切さがあるように思います。前にも「愛から発する言動は必ず相手にとって最適な形となる」という話を読んだ気がしますが、博士のこうした絶妙な配慮は、そこから来ているのかも知れません。

 (私にだったらなんて言うかなーーー??などと妄想中。。。)


ゲイリー達のオンライン講座 (35)

2/21。

2月のゲイリー講座は半年に1度のQ&A祭りA Whole Month of Q&A with Gary & Cindy Renard!です。本来は日本時間2/12にPart 1が予定されていましたが、ゲイリー&シンディが2人共インフルエンザにかかってしまったため、急遽中止となりました(日本もコロナ騒ぎで大変ですが...)。

その後リスケされて2/17にPart 1が配信されましたが、シンディは完治してなかったため、ゲイリー1人で担当することに。そしたら、システムの都合(?)でいつもの120分ではなく80分という短縮配信でした。さらにQ&A機能も不具合があり、ゲイリーがチャットからの質問を許可したところ、当然ながらタイムラインに質問殺到してカオス(笑)。1000本ノック方式でガンガン回答していった結果、なんと80分で27もの質問に回答されたという。すごっ!

 

Q&A祭り Part1

まいど視聴してる身からすると、今回オンライン講座史上初となる27もの質問をこなしたのも快挙だと思いますが、ゲイリー1人で、しかもたった80分でやったというのがビックリです。もちろん内容は多岐に渡っており超濃厚でしたが、その中で個人的に興味があった話を3つだけメモしてみます:

 

Q8. ケン(ワプニック博士)が、ゲイリー達にどのように悟りを示してくれたのか教えてください。

(0:22) まず、ケンは僕から見ても明らかに悟っていたが、彼は「自分は悟っている」と言ったことは一度もなかった。いつも謙虚で控えめな、典型的なケンらしさだと思う。彼には全くエゴがなかった。彼の妻グロリアやケンと親交のあった人々などもみなケンが悟っていると思っていたようだが、僕もその意見に同意する。だけどケンは絶対にそういう事は言わなかったんだ。そして僕だって、悟ったとしても誰にも言わないだろう。だって人々がJに何をしたか、みんな知ってるだろう?だから悟ったとしても、それは自分の心に秘めておくべきと思う。(以下略)

 

Q16. (前略) 物理世界から霊的世界へ移行する日付というのは、台本のなかで私たちが何を選択するかによって変わるものなんですか? ゲイリーは以前、「運転中だって赦しの実践は大事だ。他者(ムカつくドライバー)に反応すれば銃で撃たれて死ぬことだってあるからね」と言ってましたよね。

(0:40) そうだ。先に話した通り、エゴの台本というのは存在する。そのエゴの台本では人が特定の日時に死ぬかのように見えることになっており、その時期もすでに決まっている。だが同時に、聖霊の台本もある。それは以前、僕がある映画を選んだ結果、別の時空に入ってひどい交通事故に遭わずに済んだのと同じだ。そんなことが可能なのは、時間に異なる次元があるからだ。

君の例えを使っていうならこうだ。ある次元では、僕が銃を持った男に反応することによって僕は死ぬ。だが、僕はそれを選ぶ必要はない。代わりに聖霊を選ぶこともできる。男に反応する前に自分を抑制し、エゴではなく聖霊とともに考える。そして男に反応しない。すると男は銃を撃たない。僕は生きる。それは別の次元の時間なんだ。(以下略)

 

Q18. Jはラザロとどのような関係にあったのですか?
(トベ注:新約聖書のルカ福音書11章には
ラザロの復活と呼ばれる有名なエピソードがあり、Jが死んだラザロを蘇らせる奇跡を行ったとされてます。なおゲイリー本3冊目のp62にも関連記述あり。)

(0:45) ラザロとJはとても親しい友達だった。彼らはナザレの子供時代の仲良しグループだったんだ。だからお互いを子供の頃から知っていた。Jが「ラザロが重い病気にかかっている」という知らせを受けたからラザロのもとに向かった、というのがそもそもの始まりだ。Jはラザロを癒やすつもりで行ったんだ。だって友達なんだから(助けるのは)当たり前だよね。

(0:46) だが残念ながらJがラザロのもとに到着したとき、彼は息を引き取ったあとだった。Jがラザロを死から蘇らせたのはその時だ。あれはなかなかドラマチックな場面だったよ。その場に居合わせたのは、主にラザロの家族達とJの弟子たちだった。そのときラザロはすでに墓所に運ばれていたのだが、Jは「ラザロ、出てきなさい。(Lazarus, come forth)」と言った。みんな、Jは何を言ってるんだ?冗談だろ?と眉をひそめた。だが、Jは冗談なんか言ってなかった。ラザロは立ち上がって起き、周りにいた人々を死ぬほど驚かせたんだ。その場面を想像してみて欲しい。

(0:47) そう、ラザロは死から蘇った。そしてJが死者を蘇らせたという噂が町から町へと伝わった。それが総督ピラトの耳に届いたのだが、(ローマによるユダヤ支配の責任者である)ピラトは「死者を蘇らせる奇跡の救世主がいる」といった噂が世に広まることを望まなかった。それでローマ兵にJとラザロを探せと命じたんだ。しかもラザロについては殺害するようにと命令した。生き返った人間に出歩いてほしくなかったからだ。

さて、ローマ兵はラザロを殺す前に(好奇心から)「おいお前、あの世はどんな感じだったんだよ?」と聞いたんだ。ラザロは「ここと同じような感じだったよ」と答えた。 ローマ兵はその回答が気に入らなかったから、ただ殺したんだ。ローマ兵はそれからJを探しにいったが、Jはどのみちエルサレムに姿を現したので探す必要はなかった。その後どうなったかは歴史の通りだ。

 

*****

全部で30個近くある質問から3つ選んだだけでこの長さ(!)なので、今回はこの辺で。

さて今回個人的に興味深かったのが「ラザロの復活」に関するエピソードです。久々に新約聖書(ヨハネ福音書)の該当箇所に目を通したのですが、書いてある事が目撃者であるゲイリー(トマス)の話とおおむね一致してて「これホントの話だったんだー」と改めてビックリしました。

ただ、聖書の方にはユダヤ人の指導者たちがJとラザロの殺害を画策したと書かれているのに対し、ゲイリーやパーサの話によればローマ人の総督ピラトの企みによるものだというのが決定的に違ってるなぁと思いました。今となっては検証のしようがないものの、史実としては大きな違いになりそうです。

 

追記:聖書の話がでたついでに。
私がなんとなく「J」という表記を続けている理由は、ゲイリー本の影響もありますが、"敬虔なクリスチャンの方が「イ◯ス」でググって運悪くこのブログに着地した結果、ゲイリー節をみて混乱する..."といった悲劇をなるべく予防するためでもあります。(^^;)
(まあ誰もゲイリーの怪しい話なんか本気にしないと思うので心配してませんが、うちもキリスト教なので、教会の信者さん達にちょっと配慮してる感じです☆)