ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

ゲイリー達のオンライン講座 (43)

 6/27。

開発作業などが重なって毎度遅れ気味ですが、日本時間6/16配信のオンライン講座 The Two Pictures, from ACIM Chapter 17, Section IV (Part1)を視聴しました。

 

講座の本編

6月のテーマはテキスト17章「IV. 二つの絵」です。ここは「額縁」と「絵」の比喩で非常にビジュアルに描写されているだけあって、解説も力が入ってました。自我の目的vs.聖霊の目的が対比されている箇所の中でも特にインパクトありますね。

 

[ゲイリー]

(0:19) 古いことわざで「幸せになるのに理由なんか要らない。だから理由なしに幸せになりなさい(There's no reason to be happy, so be happy for no reason.)」というのがある。コースが与えてくれる選択肢とはそういうものだ。この世界で幸せを探そうというなら、どうぞ頑張ってくれたまえ。そのやり方だって、たまには上手くいくことがあるからね(笑)。だけど、この「二つの絵」というセクションでは、コースとそれ以外のあらゆる教えとの違いが鮮明になっている。

(0:20) それらの教え(ニューエイジから哲学まで)というのは、この世界を砂糖でコーティングするようなものだ。夢(形態)のレベルで上手くいくようにとか、欲しいものを手に入れようとか。それも一つの方法ではあるが、それは偽りの土台に立っている。僕の経験から言っても、そういう幸せは楽しいかも知れないけど、その幸せは永遠ではない。ハッピーでいられたとしても2-3日だろう。

(0:21) 「二つの絵」では、自我は君に額縁のほうに注目して欲しいと思っている。それはとても精巧で立派で魅力的な額縁だ。それが自我の世界であり、その世界で何を得るかということに主眼が置かれている。自我は夢の中のあらゆる華やかなものに注目していて欲しいんだ。

(0:23) だが、その額縁(自我の偽りの偶像、特別な関係性)に近づいてよく見れば、ダイヤモンドは涙で、ルビーは血のしたたりだ。そこで聖霊は、額縁ではなく絵のほうを見るよう促している。額縁に気を取られてはいけない。自我は注意を逸らすのが大好きだ。自我はそうやって僕たちを真実(心)から引き離しておこうとする。

(0:24) 人生では、生まれた時から死ぬまで終わりなき問題の連続だ。ある問題を解決して人生で成功したかと思えば、すぐまた別の問題が出てくる。この世界にいる限りそれは終わらない。ウイルスとか核戦争とかね。それが涙のダイヤであり、血のルビーだ。殆どの人は人生の半分をダイヤやルビーに費やしてる。いつか「もっと良い方法があるはずだ」と気づくまではね。

(0:26) こんな話を聞いたからって、がっかりしないで欲しい。解決する方法はあるからだ。コースは常に自我に対する解決策を示している。A&Pと話していると、あらゆることが赦しにつながり、赦しは愛につながる。そして愛は全ての解決策だ。君が絵のほうを本当に注意深く見れば、自我の世界が幸せなものでない事は分かる。ケン・ワプニックがよく冗談で「ここは幸せな世界ではないし、正しい心にいる人なら誰もこの世界に来たりはしないでしょう(This isn't the happy world, and nobody in the right mind would come here)」と言っていたように。

 

[シンディ]

(0:45) あなたがコースをよく理解していると思っていても、不意打ちはやって来るものです。自分はすごく腑落ちしてたはずなのに、こんなに動揺するなんて。。。というのは「信頼の深化(M-4.A)」のセクションで「まだ自分で思っているほど遠くまで来てはいない(M-4.A.6:10)」という状態です。多くの人がこれを体験しているはず。自分の赦しは順調で、何もかも上手くいってると思っていても、突然ボン!と事件が起こって動揺せずにいられない自分に気がついたりしますよね。そんな時、私たちは謙虚な気持ちになります。一歩下がって「やっぱり自分はまだ分かってなかったみたいだ」と。

(0:46) だけど、それで全く問題ありません。まず、自分に優しくすること。自分に対して忍耐強くあること。そして自分自身を赦すこと。これは一朝一夕にできることではなく、生涯にわたる実践のプロセスなのですから。そのことを覚えていれば、実践において様々なことがより穏やかに、より簡単になっていくでしょう。

私も不意打ちに遭ったりするけど、そのときの自分の反応が、思ったより穏やかになってきていると思います。私はまず、それ(感情)に気がつくようにしています。そのことで自分を裁いたりせずに、ただ自分がその感情を感じるに任せ、その想いがどこから来ているかを理解したうえで、自分の想念に全責任を持つのです。

それが(外の出来事からではなく)、自分から来ているのであれば、自分の側に(選択の)力があるという事です。だから私たちは「赦して、選び直すことができる」のです。つまり、それを聖霊のもとへ持っていき、訂正してもらうということ。だからこそ、あらゆる出来事が助けになるというわけです。

 

 

Q&A

今回のQ&Aはそんなに興味深いトピックがなかったので割愛しますが、7月になったらまたQ&A祭りをやるそうです!

 

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6月分のPart1はこのへんで。

ちなみにシンディは冒頭で「数日前の夜中に寝ぼけてトイレに行った時、ドアが閉まってるのに気づかず扉に激突してしまったの」と笑いながら話してくれました。 シンディはその場ですかさず赦しを実践しながらベッドに戻ったそうです。ただ、結構はげしい衝突だったので、翌朝アザなどでひどい顔になっているだろうと思いきや、目覚めたらいつもどおりだったとのこと。(ちなみにゲイリーは、シンディの激突音に気づいたものの「大丈夫かいベイビー?」と言ったきり寝落ちしてしまったとか。笑)

今回のシンディの「不意打ち」の話は、そんな直近の出来事とも重なっていたせいか、とても伝わってきたと思います。彼女がドアに激突した時にまず思ったのが「この出来事も赦しに使えるわ!」だったそうで、さすが赦しの反射神経がハンパないですね。

シンディは講座ではあまり具体的な話はしないというか、いつも形而上学的な話がメインという印象でした。でも最近は、タイタニック博物館の話(前回)や、今回のドア激突事件など、自分の出来事を交えて話してくれることが増えたかな?そうやって具体例と実践を絡めて話してくれると、なかなか面白いです。(^^)