ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰したのが奇跡

ゲイリー達のオンライン講座(11)

2/9。

心の平安とは程遠い状態の今日この頃ですが、なんとかゲイリー講座の視聴&メモの習慣だけは続けております。意外とこれでコースアウトから救われてるような気がしないでもありません。。。

 

講座の本編

2月のテーマは”The Greater Joining - From ACIM Chapter 28, Section 4”です。今の自分が置かれている状況について心に響いたのはシンディの話のほうだったので、メモしてみます。

 

[シンディ]

(0:11) 心は聖霊とエゴに分かれていますが、そのエゴもさらに2つに分けられます。それは「特別な愛」と「特別な憎悪」です。コースがそれらについて語るとき、エゴからのものはすべて無意味であると言っています。私たちが誰かを愛するという時ですら、それは「特別な憎悪」を覆い隠すマスクに過ぎません。この世界が愛と呼んでいるものの背後には必ず恐れがあるからです。「特別な愛」は非常に油断ならないものです。なぜならそれは見返りを求めるからです。「私はあなたを愛します。ただし、あなたは私が求める条件を満たす必要があり、それが出来ないなら私はあなたを愛しません」それがエゴが愛と呼ぶものです。

私たちが、親密な関係において日常的にこのような事をしていると認めるのは辛いと思います。特に、相手に不満を抱いてしまうような時には。しかし、だからといって自分の感じ方を責めて自らを虐待するような事をしてはいけません。ただそのことに気づく事だけが大切なのです。そうすれば、心を変え、知覚をシフトし、奇跡につなげていくことができます。

 

(0:45) 誰かが愛を求めて叫んでいる時、それに対する適切な応答は愛しかありません。でもそこで、愛がどんな形態をとるべきか自分で知っていると思ってはいけません。「私シンディがあなたに愛を与えます」と考えるべきではないのです。私たちの考える愛はどうしても「特別な愛」に基づいてしまうからです。そうではなく、まず聖霊に対し、自分を通じて聖霊の愛が延長されるよう頼みます。立ち止まり、一歩下がって、聖霊の無条件の愛が、時空の夢を超えたところから自分を通じて表現されるように譲るのです。このことは、肉体を含むすべてのことを聖霊の目的に使うことにもつながってきます。

聖霊、どうか私が自分の肉体を赦しのレッスンを学ぶ教室として使えるよう助けてください。そしてその赦しが私を通じて表現され、すべての兄弟に延長されますように」

 

[ゲイリー]

(0:32) コースの美しいところは、それを実践しながらも、これまで通りの幻想を生き続けて構わないということだ。これは僕にとっては驚くべきことだった。なぜなら、(悟りの道を歩むには)全てを諦めなくちゃいけないと思っていたから。もちろん、どこかの時点で心理的に幻想を手放す必要はある。だけど、今より聖人らしく振舞う必要なんて全くないし、他の人と違ったことをする必要もない(そうしたければ構わないけど)。普通の人生を生きていいんだ。

 

(0:52) この15年くらいでよく旅行するようになって、「霊的な進歩具合は、航空会社が荷物を紛失した時にどう反応するかでわかる」と思うようになった。それを赦せるかどうかは、良い指標だね(笑)。

僕の4冊目のJesus & Buddha本で、大金を盗まれた話を書いたが(Jesus & Buddha本の8章にバルセロナ講演の帰りの便で講演料$13,000を盗まれた話があり、パーサによると、ゲイリーが過去生でその金額に相当するお金を盗んだ事による因果応報だという指摘があった)、カルマとはそういうものだ。別にカルマに気をつけろとかそういう事を言いたい訳じゃない。ただ幻想の中ではそういうことが起こるってだけだ。そこで赦すことができれば、そこでカルマを終わらせることができる。赦しは、まるで雪を炎に放り込むみたいにしてカルマを溶かし、因果のサイクルを断ち切るんだ。

 

Q&A

今回は特に目新しい質問が無かったのと、自分のリソース不足のため、Q&Aは割愛します。

 

*****

シンディが「特別な関係」について言及してくれたことは、個人的にタイムリーだったなーと思います。

とはいえ正直、自分を通じて聖霊に愛を延長してもらうという感覚はさっぱりわかりません。全然わからないんだけど、自分でもわからないなりに、そのような状態を意志するという意欲は持とうと思いました。

 

ある友達と和解できたこと

2/3。
もうひとつ。不思議な縁で過去に傷つけてしまった人と仲直りする機会がありました。

実はコースアウト時代に、同窓生のシメジ君(仮)に噛みついてしまった事があって、その結果、絶縁状態になってました。今にして思うと、シメジ君にはほとんど非はない些細な行き違いだったんですが、当時の私は恐怖に怯えて罵詈雑言を浴びせて追い払ってしまったという。。。

 

「そんなわけで、未だにシメジ君とは気まずくて連絡が取れないんだよね…」という話を何気なくニコちゃんにしたところ。。。まさかニコちゃんとシメジ君が20年来の仲良しだったなんて全然知らなかった!!

 

「そっか。。。あのさ、もう一度シメジと会う機会があれば、話してみたいと思う?」
「え!もちろんだよ。だけど、どうやって?」
「なんとか自然に会えるようにしてみるよ。俺にまかせて」

 

。。。えー、どうする気だろう?と思っていたら、ある日、ニコちゃんが同窓生数名に声をかけて、ちょっとしたお楽しみパーティを催してくれました。しかもシメジ君には裏で個人的に細かい調整をしてくれたらしく。

 

「トベちゃん、例のパーティの件だけど。シメジには朝イチの荷物番を頼んどいたから、知らん顔して早めに会場入りすれば会えるよ。俺は席をはずすから、2人でお話しすればいい」

 

(゚o゚) うそでしょーーーー!?

 

はたして、ニコちゃんの指示通りに早めに会場入りしたところ、シメジ君がポツンと一人で待ってました。
「おはよ、シメジ君。2年ちょっとぶりだね。。。」

 

というわけで、シメジ君と2人きりで話せた時間が30分ほど。勇気を出して2年前の無礼を謝罪したところ、シメジ君もその後いろいろ思うところあったらしく、むこうも謝ってくれて、やっと仲直りすることができました。もう二度と会えないだろうと思っていたのに、なんだか信じられない展開。

 

*****
まあ今回のことは形態上の出来事なので、それ以上のものではないと思いますが。

ただ、博士の言う「Be Normal」の観点からいうと。。。この世界の枠内では、やはり関係性を損なってしまった人と運良く和解する機会が与えられたなら、謝罪することも含めてしかるべき方法で関係を修復するほうが建設的ではないかと思っています。(そういう機会は訪れないことの方が多いので、なおさらね)

 

以前から、心の中ではシメジ君に対して「あの事件は本当は起こっていないし、誰にも罪はない」と言い聞かせてきてはいたけど、形態のうえでは2年以上絶縁状態が続いていました。そんななか、今回は形態のうえでも実際にシメジ君と再び仲直りすることができ、以前と同じように会って楽しく過ごせるようになったわけで、私にとって、この違いは大きいです。

このタイミングで再会できたなんて、本当に不思議な縁だなあ。。。

 

電車に閉じ込められた件

1/31。
またもや長時間閉じ込められてパニック発作をおこす状況に陥ってしまいました。帰宅時に電車に乗った直後に同じ路線で人身事故が発生し、ギュウ詰めのまま全線ストップしてしまったのです。


始発で座席に座れていたのが不幸中の幸いだったけど、車内は非常に混雑していて圧迫感があり、暖房ガンガン+満員で蒸して息苦しく、雨だったので窓を開けることも出来ないという、パニック持ちには最悪な状況でした。


人身事故の車内アナウンスがあってから、数分のうちに気が狂いそうな恐怖感に発展すると分かってたので、速やかにマフラーやダウンジャケットを全部脱いで、暑さからくる息苦しさに先手。立ち乗りじゃなくて本当に良かった。


後はひたすら、胸に手当てしつつ「私は恐怖を選択しているけど、違う決断をする事も出来るし、たとえ恐怖を手放せなくても、私に対する聖霊の愛は変わらないから大丈夫」とイメトレ。これで苦痛レベルはだいぶ下がるんだけど「運転再開は1時間後の見込みです」とかアナウンスされるともうダメ。1分でも気が遠くなる思いなのに、1時間なんて耐えられない。。。(聖霊イメトレなんか吹っ飛んじゃう)


ただ、当然のことながら恐怖で死にそうになってるのは私だけで、他の乗客はギュウ詰めで閉じ込められてても全然平気です。涼しい顔でスマホを見たり歓談したりしてます。ああー、本当は何の危険もないのは明らかなのに、どうして私だけこうなっちゃうんだろう。


助けを求めたこと
30分ほど耐えたけど限界を迎え、すごく迷いましたが、SNSでニコちゃんに助けを求めました。「いま電車に閉じ込められてるの。ちょっと助けて欲しい」


ニコちゃんは前回、映画館で発作デビューした時に側にいたので、私がパニック抱えてることをよく知ってます。その時、私に寄り添ってくれただけでなく、他にも同じ症状で苦しんでいる人が大勢いるという事や、いつか克服できるという事を教えてくれて、とても勇気づけられた経緯がありました。


しばらく経って、ニコちゃんから「大丈夫?」と返事が来たのとほぼ同時に、なんと電車が動き出しました!やった!運転再開ではないけど、最寄駅まで運行して、やっとドアが開いた!車内に清々しい冷気が入って換気されたお陰で、なんとか落ち着きを取り戻すことができました。ああ、助かった。。。


その日の晩、ヨレヨレで帰宅した頃に、ニコちゃんがある曲を送ってくれました。その歌詞を聴いてみると「きみが心に封印している闇を開きたい、いつでも頼って欲しい」という内容でした。トベ号泣。


この人どうしてこんなに私を助けてくれるんだろう。どうして私の心に闇があることを知ってるんだろう。そして、そんなに洞察力があるのに、なんで家族と上手くいってないんだろう。


*****
これまでの数年間、パニック発作の自覚はあったものの割と短時間だったので自分1人でしのぐ事が出来ましたが、先月の映画館といい、今回の人身事故といい、ニコちゃんと会ってから1時間超えの非常事態が2回も発生しています。これが何を意味するのか分からないけど、ちょうど助けてくれる人が現れたことに感謝しつつ、比較的長時間の発作にも逃げずに向き合ってみようと思っています。
 

ゲイリー達のオンライン講座(10)

1/26。
あまりゲイリーのオンライン講座のために会社を休むわけにもいかないので、最近タブレット端末を使ってスキマ時間に視聴しはじめました。これだと見終わるまで何日もかかっちゃうけど、しばらくこの方法で様子見してみます。

 

講座の本編
1月の講座の後半で、テーマは引き続きHealing and Faithです。また独断と偏見でお気に入り箇所をメモします。

 

[シンディ]
(0:10) 月曜はキング牧師の記念日でしたが、そのキング牧師が信念についてこう言ってます。「信念とは、たとえ階段全体が見えなくとも、その階段の最初の1段に踏み出すことである。(Faith is taking the first step on the staircase even when we don’t see the whole staircase.)」

素敵ですよね。もしコースなら、同じことをこう言うでしょう。「信念とは、たとえ梯子の全体が見えなくとも、その梯子の1段目に踏み出すことである。(Faith is the first step in the ladder without seeing the whole ladder)」

私たちが心(マインド)の全体像を知る必要はないんです。私たちは、一度に一歩ずつ進むことしか求められていません。ただ、この大きな訂正のプロセスという文脈において、自分をイメージするだけでいいのです。目の前に何が起ころうとも、日々、赦しの階段を一歩ずつ進むだけでいいのです。

 

[ゲイリー]

(0:24) もちろん赦しこそがクモの巣のような混乱をクリアにする方法だ。赦しは聖霊の声を聞こえなくする障害を取り除き、もっとよく聞こえるようになる。そして聖霊は常に、赦すようにと僕らを導く。「何があっても赦しなさい」と。それにはそれなりの姿勢が必要だ。キング牧師はこうも言った。「赦しというのは一時的な行為ではない。それは一貫性のある姿勢である」

この姿勢こそがコースで言う「奇跡の準備ができた状態(miracle-readiness)」だ。僕らはみんないつか「いつでも赦す準備ができている状態」に到達する。何かが起こる前に、すでに赦そうと思っている状態だ。この状態に達していれば、赦すことは10倍も易しくなる。(中略)

「どうしたら赦せるんでしょう?」という話はよく聞くが、それは赦すという決意と共に始まるものだ。何が来ても赦すという姿勢でいることは、自分が「赦すゾーン」にいるということだ。それは、必ず赦さなければならないという意味ではなくて、「自分には赦す準備がある」という事でもある。

 

(0:47) Jは十字架刑のメッセージ(T-6.I.15)の中で、「私が裏切りを信じていたのでない限り、私が『汝は接吻をもって人の子を裏切るのか』と言ったはずがない」と言っている。Jは裏切りなど信じていなかった。なぜなら、肉体というものを信じていなかったから。

これに関連して、新約聖書でもうひとつ際立っているのが、彼が磔刑の時に言ったとされる「父よ、父よ、なぜ私を見捨てたのですか」という言葉だが、おいおい、それはあり得ないってもんさ(笑)。それは本物のJとは真逆の発想だ。

旧約聖書のソロモンの雅歌の後には次のようなくだりがある:「父よ、父よ、なぜ私を見捨てたのですか」— つまり、後世の者が旧約聖書の言葉をJの口に被せたということだ。そこで彼らが何を試みていたかというと、その言葉をユダヤ教キリスト教の間に架け橋にしようとしたんだ。もちろん、そんな試みはうまくいくわけないけどね。


Q&A

今回は全部で12問のQ&Aがありました。一番最後の回答で、これから執筆予定の5冊目の本について言及があったので、それも取り上げてみます。

 

Q1. 世界が幻想なら、なぜ私たちは、より良い仕事、家などのために頑張らなければならないのですか?

ゲイリー:まったくだ(笑)。僕らがここにいるように見える間は何かをしなきゃいけない(もちろん、何もしないという選択も含めて、何かしているということだ)。だが、それをシリアスに捉える必要はない。それは単なる嗜好だと捉えればいい。例えば、僕は暖かい地域が好きだ。だから今は南カリフォルニアに住んでいる。でもそれは僕の好みに過ぎない。仕事とか家とかも同じだ。そういったものを偶像にしてリアルにする必要はないんだ。映画を見て楽しむようなものだよ。深刻になって執着することはない。

 

Q3. 聖書には、船上のペテロがJに呼ばれ水の上を歩くという有名なエピソードがあります。ペテロが恐れてJから目を離すと水に沈むという話は、信仰心を保つことについてのメタファーですか?それとも実話ですか?あと、ペテロではなくトマスに起こったことですか?

ゲイリー:それは本当にあった話だ。人物もペテロで合っている。ただ、ペテロは使徒の中でもどちらかというと宗派を起こしたい側のグループ(ヤコブ、後にパウロetc)にいて、僕ら(J、マリア、トマス、タダイ、アンドレ、ピリポ、ステパノetc)は宗派など別にどうでもいいと思っているグループだった。

ペテロは、Jに焦点を保っていた間は確かに水の上を歩いたよ。(湖の上で)Jはペテロに信念を呼び起こした。それによってペテロは一時的に水の上を歩くことができた。しかしその信を保つのは本人しかできない。

新約聖書に書かれているJのさまざまな奇跡は、実際に起こったことだ。Jも水の上を歩いたし、嵐を鎮めたし、ペテロに魚を与えたり、病人を癒やしたり、死者を蘇らせたりした。ディテールは実際とは違っているものの、どれも実話に基づいている。ただ、聖書ではJは特別な人として描かれている。そこがコースとの大きな違いだ。コースに描写されているJのほうが、2000年前の実際のJを的確に表していると思う。

 

*****
。。。というわけで、最後のQ12でゲイリーは5冊目の本の執筆予定についてチラッと話してくれました。4冊目のJesus & Buddha本では主にイエスブッダが共に過ごした人生を扱っていましたが、これから執筆予定の5冊目では、他の使徒たちについても書いていく予定だそうです。また、Jはどのようにして悟りの道に至ったかについても焦点をあてていく予定とのこと。ちょっと楽しみ。

 

イケメン先生最後の診察

1/25。
手術のとき私を優しく励ましてくれたイケメン先生に会えるからと、病院での術後診察をいつも楽しみにしていたトベです。で、今日は前回から4ヶ月後の診察日でした。先生、元気かな〜。わくわく。


。。。と思って診察室の前で待っていたら、なんと!診察室の入り口に「イケメン先生は3月で退職になります」と貼り出されているではありませんか!


さ、3月で退職。。。。?
いやあああ〜〜!!嘘と言って〜〜!

。゚(゚´Д`゚)゜。ウァァァン


軽く取り乱しながら、診察室に入るなり、
「先生!3月で辞めちゃうって本当ですか!?」
「そうなんですよ〜。いよいよ念願かなって、地元の病院に勤務することになりました」
「おお!やっと先生の夢が叶うんですね!なら私も嬉しいです♡」


そう、実は私の病気には地域格差があるのです。患者さんは日本全国に大勢いるのに、専門病院は大都市にしかありません。地方の患者さんは診察や手術のために大移動しなければならないのが現状です。


イケメン先生の出身地も、専門医が不足しているエリアのひとつでした。彼は外科技術の研鑽を積むために上京していただけで、いつかは地元に戻って患者さんを助けたいと話していました。
去年それを聞いて、若いのに志高い先生だな〜と尊敬してましたが、まさか今日がいきなりお別れの日になるなんて〜!!


でもでも、イケメン先生が地元に戻って活躍すれば、今後かなり多数の患者さんが恩恵を受けることになるのは間違いありません。突然のお別れは寂しいけど、これで良かったんだ。。。
そんなイケメン先生の症例のひとりになれて光栄だったと思います。


「先生のこと応援してます。ぜひ地元でもご活躍ください!」


病気のときに私を助けてくれた人たちが、1人また1人と目の前から去っていく感じがするのは気のせいでしょうか?
自分の人生の、病気という章に少しずつ区切りがついていくような、不思議な気分です。

 

潮目が変わってゆく感じ

1/23。
今月はニコちゃん事件に気を取られすぎてて、いつもだったら職場で事件に分類してたような出来事が霞んでしまいました。年が明けてから、オフィスでもそれなりに色々あったんですけどね。。。


去年あたりから実質的な経営者が変わり、良く言えばコスト意識が高まり、悪く言えば世知がらくなりました。そんな中、美人部長のような上層部に対して意見を述べられるタイプの人は、どんどん辞めていってしまったのでした。


しかも、我々の部署は今までずっと裏方業務だったのに、今年からは営業本部に組み込まれることになり、いきなり利益を出せとか効率あげろとか。手始めに、軽く400項目をこえる病的な細かさの工数管理表に、毎日15分単位で内容別に作業時間を入力しろとお達しがあり。どこが効率化なのかさっぱりわかりません。(クロトワ課長にそう伝えたけど、上の命令だから黙ってヤレと。そりゃそうですよね…)


今まで7年以上この派遣先に勤めてきて、腹立つ事がいっぱいあって辞めたいと思ったことは何度もありましたが、そのたびに心の底に「いま不満を抱えたまま他所の会社に移っても、どうせ似たような腹立たしい状況が再現されるだけだろうな…」という印象がありました。なんとなくですが、ネガティブな気持ちで辞めるのはなんか違うように感じていたせいで、逆に辞められなかったというか。(^^;)


しかし病気になった時は、こんな形で辞めたくないと強く思ったし、そのおかげで遠い存在だった美人部長や因縁のクロトワ課長とは逆に見えない絆が深まったような気もしています。最近はなんだかんだで、同僚の皆さんからランチや飲み会に誘われることも増えてきました。
なので、2年前に比べて今のほうがだいぶポジティブな関係性を築けているような気はしています。派遣の契約も無期になったし一見辞める理由は無いんですけどね。。。


でも不思議なことに、そろそろ辞めるときが近づいているなという感じがするのです。それは、美人部長がいなくなったり派遣のあり方に疑問を持ったりといったきっかけで浮上してきた想いですが、会社全体の方向性が変わろうとしていることもひとつのサインかなと感じています。


ただそれは漠然とした印象に過ぎないので、「じゃあいつ辞める」とか「辞めてどうする?」といった事は、今のところまったく見えていません。半年後なのか1年後なのか3年後なのかも分かりません。
まあ、その時が来たらハッキリ分かるだろうと思ってはいるのですが、「その時」って何だよと言われたら自分でも答えられないし。。。


とにかく、今はそんな感じで潮目が変わりつつあるのを感じながら過ごしています。辞めること自体にあまり不安はないとはいえ、先が見えないのでなんか落ち着きません。私、どうなっちゃうのかな。
 

新年の恒例行事にて

1/19。
毎年1月にはオフロバットの新年会があります。今年もミヤビさんの高級車に乗せてもらって他県の会場まではるばる参加してきました。今回の集まりもいろいろと印象に残る出来事がありましたが、直近で個人的に悶々とした2件の顛末について。


①ミヤビさん海外遠征の件
年始ごろに、ミヤビさんに対して正式に海外遠征をお断りした(1/15投稿分)という話を書きましたが、何しろあの時はSNSチャットだったのであまり突っ込んだ話は出来ず。今回、移動中の車内で改めて、不参加のお詫びとこちらの状況説明(体調問題とか転職の可能性とか)をさせて貰った次第です。


ミヤビさんは私の不参加を残念に思ってくれているものの、それ以上は全く気にしてなくて、着々と代打の人選を頑張ってました。東欧の子ではなく、できれば日本人の中から経験者を育成したいとかで。。。

しかも、通常は忙しすぎてとても海外遠征なんか頼める雰囲気ではない超ベテランの日本人選手がいるのですが、なぜか今年に限って夏の予定がまるまる空いてしまったとかで、彼が参加できる可能性もあるとのこと。ちょっとビックリ!

彼ほどの人が控えてるなら、私はもう心配しなくて大丈夫だな〜と、一安心です。

 

②ラジオさんの贈り物の件
もうひとつの件は、年末に高級ジャケットを贈ってくれたラジオさんご夫妻のこと(1/5+1/7投稿分)。もうコレ、最初はホントに嫌ですごい悩んだのですが、カミラちゃんの神アドバイスにより、思い切って新年会にジャケット着用で行ってきました。


もちろんラジオさんご夫妻に対しての御礼パフォーマンスを兼ねてではありましたが、意外なことにミヤビさんや他の女性陣からも「どうしたのその上着?すごく似合ってる」と好評だったのでした。こんなの似合わないと思っていたのは私だけだったのか。。。


まあ、ラジオさん達も喜んでくれていたし、私もイメチェンを褒めて貰ったりしたので、これはこれで結果オーライだったかな。


*****
。。。というわけで。
あんなに悩んでた事に関して、わりとあっけなく一件落着したような印象でした。そして、恒例の新年会はけっこう楽しいイベントもたくさんあって、ミヤビさんやラジオさん達と一緒に盛り上がったのでした。
(夜遅くまで騒ぎすぎてちょっと寝不足なったけど。。。)