ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

FACIM読書会 1月 JTT Ch.6 (その1)

1/18。

2020年初の読書会で驚いたのは、ひとりが見違えるほど元気になって別人みたいにイキイキしてたこと(^^)。聞けば、長年の不調について本腰入れてケアした結果らしいのですが、精神面まで活力に溢れていたのでビックリしました。

読書会で励みになるのは、決まったメンバーと継続的に顔を合わせることで、互いの趣味嗜好とか生活環境とか心境変化などがだんだん分かってくることです。そんな中、誰かが今回みたいなブレイクスルー(いろんな意味で)を経験すると、こっちもシンクロするような形で生活習慣が変化したりして、なんか流れが変わる感じがします。


今回、私からは6章の要約をシェアしてきました。6章といえば、去年JACIM講義室で教わった「聖霊のレッスン」が含まれている章なので、以前より興味深く読んでいたら長くなっちゃったかも。またもや2分割するので、聖霊のレッスンは次回に。

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
Kindle変換後のNo.と紙本のページを併記してます。

 

★Chapter 6 -- The Lessons of Love  p149 (No.5114)

 

The Ego's Fear of the Atonement  p151 (No.5198)
No.5203/p151 If we are not in the world, we cannot be bodies. What then,...
・もし私たちがこの世界に居ないのなら、私たちが肉体である事はありえない。では、私たちとは何なのか?私たちのこの疑問が自我の恐怖を引き起こす。その問いに答えることは、心としての私たちのアイデンティティを認識することであり、自我とその思考体系を取り消す声が聞こえる事を可能にしてしまうから。

No.5239/p152 The ego knows that it is not a part of us, and is terrified of...
・自我は、心の決断の主体のもつ力を恐れている。私たちを心のない状態にするための自我の巧妙な戦略は、聖霊によっても、イエスによっても、神でさえも、取り消すことはできない。それは私たちでなければ出来ないのだ。決断の主体こそ、神の子の心の中で唯一、贖罪か分離かを選ぶことができるものだから。

No.5293/p154 Since the ego never wants us to recognize its own insanity, it...
・自我は決して自らの狂気を認識されたくはないので、自我の原理「どちらか一つだけ」を取り消してしまう最初の聖霊のレッスン「所有するためには、すべての者にすべてを与えなさい」こそ狂気だと教える。

No.5310/p154 The louder the Holy Spirit's Voice becomes — i.e, the more...
聖霊の声が大きくなるほど(私たちが聖霊に耳をすませるほど)、自我の反応はより恐ろしいものになる。自我は「もし聖霊を聴き続けるなら我々は終わりだ」と言う。しかし本当の私たちは自我ではなく決断の主体であるため、消えていくのは自我だけなのだ。

No.5329/p155 When people try to teach spirituality on the level of behavior...
・人々が霊性を行動のレベルで教えようとするとき(ほとんどがそうだが)、彼らは矛盾する思考体系を教えることになる。それが、既存宗教が憎しみに満ちたものになる理由である。

The Ego's Strategy: The Mindless Body  p155 (No.5350)
No.5368/p156 The ego does not want a brother, in the sense that it does...
・自我は分離と差異を信じているので、平等性という意味での兄弟など必要ないと思っている。しかしながら自我は同盟は欲していて、その主要な同盟こそが肉体である。
・自我は肉体が心に属していない事を知っているが、その事実を私たちから隠している。そして肉体が私たちに属していないからこそ、自我は肉体を”心に対する戦争“における同盟者として使うことが出来るのだ。

No.5407/p157 The body is nothing. This is the first statement of the highly...
・「肉体は無である」これは何度も繰り返し現れる非常に重要なテーマ。肉体は文字通り無である。それは生きることも死ぬこともしない。病んだり治癒したりもしない。見たり聞いたり考えたりもしない。それは操り人形のように、単純に心の命令に従うだけのもの。

No.5436/p158 Further, since to the ego guilt is pleasurable, it transfers that...
・自我にとって罪悪は快楽なので、その狂った想念を肉体に投影することで、いまや肉体が快楽の台座となっている。快楽が不在のとき、私たちは苦痛を経験する。
・しかし、快楽/苦痛のいずれであろうと形態は関係ない。肉体によって経験された現実が、心によって投影された罪悪を保持する役目を果たす。そのことが”報復と死”の恐れを強化するのだ。

No.5515/p160 Jesus tells us here, as again near the end of his symphony...
・Jは「怒りは決して正当化されない(T-30.VI.1:1)」と言っている — 理解はできる、しかし正当化はできない、と。
・もし私たちが平安でないのなら、それは単に私たち自身が平安から分離すると決断した結果である。それは他の誰とも何の関係もなく、従って正当化される事は決してない。

Forgiveness and Jesus  p161 (No.5532)
No.5579/p162 Persecution is not what is done to us, but is a perception...
・迫害が私たちになされるのではない。それは他者に罪悪を見るという私たちのニーズに基づいた知覚(解釈)である。Jを私達の学びの手本とすることは「私たちは愛から分離したことなどないので、私たちには何もなされてはいない」というJの真の知覚を共有すること。

No.5653/p164 Choosing to listen to the Holy Spirit means that we are...
聖霊の声を聴くことを選ぶという意味は、私たちが「いかなる攻撃(のように知覚されるもの)に対しても、”神の子の決して傷つくことのない強さ”を見る聖霊の心眼(vision)」を共有したいという意欲を持つということ。

Teaching and Learning  p165 (No.5670)
No.5675/p165 The key idea is that we are same in illusion (sharing the ego...
・私たちはみな同じである。幻想の中では自我の狂気を共有しているという意味で同じ、真実の中ではキリストを共有しているという意味で同じ。

No.5746/p167 Each time we have an angry thought, even if it is not ...
・私たちが怒りを持つたびに(たとえ表現されなくても)、周囲に対して自我の怒りは正しい選択なのだと教えている。しかし、もし私たちが怒りではなく平安を、不満の代わりに赦しを選択するなら、周囲に対して同じように聖霊を選ぶ機会があるのだと教えることになる。

No.5770/p167 The way we teach is through demonstration, and we ...
・私たちは実践を通じて、自我と聖霊のどちらかを教えることになる。もし自我を選択すれば、私たちは分離、特別性、憎しみ、攻撃を実践することになる。もし聖霊を選択すれば、平安、愛、真の繋がりを実践することになる。
・「所有すること」と「在ること」は同じであり、「与えること」と「受け取ること」が同じである以上、私たちが教えるものを私たちは学ぶのであり、私たちが実践することが真に何者であるかの心の選択を強化する。


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。。。というわけで、Chapter6 (その2)に続きます!