ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

FACIM読書会 10月 JTT Ch.3 (その2)

10/5。

 Journey本(JTT)Chapter3のメモ後半です。個人的に目からウロコだったのは、後ろのほうの「灯台のたとえ」です。確かにFACIMには"The Lighthouse"という立派な会報誌があるしプチ自伝にもモントーク岬(灯台あり)のエピソードが出てくるので、「博士はきっと灯台がお好きなのねウフ♡」とか軽々しく考えてましたが、全然もっと深い意味だったわー。。。博士スンマセン。。。orz

 

教材:Journey through the Text of A Course in Miracles (現在地:Vol.1)
Kindle変換後のNo.と紙本のページを併記してます。


★Chapter 3 The Innocent Perception (p92〜)

No.3268/p92 The concept of judgment has two meanings in the Course...
・コースで「判断(judgment)」という時は2つの意味がある。ひとつは「非難・糾弾(condemnation)」という意味。コースで判断を手放す、などと言う場合は他者を非難するのをやめるということ。
・もう一つの意味はもっと大きな意味合いで「選択性(selectivity)」のことであり、選択肢が存在することを示している。このことは知覚の世界では非常に重要となる。
・もちろん、どちらの意味であっても天国においては真実ではない。それはこの二元性の悪夢の世界においてのことである。

No.3276/p92 Indeed, without judgment, existence here would be...
・実際、判断(judgment)がなければ、この世界に存在することは不可能。
・例えば私が執筆をするとき、いちいち触感や嗅覚や音や色彩などに注意を払っていたら専念することができない。私は無意識のうちに書き物に関係のない選択肢を排除するという判断を下すことになる。

No.3300/p93 There is an important implication here: everything that is...
・知覚され得るもの、象徴であるものは真実ではなく、神からのものではない。象徴そのものは重要ではなく、そこに「何が」象徴されているかの方が重要。私たちが関係性を癒すことは、我々が神の子であるという認識に戻ることを象徴している。

No.3317/p94 Jesus speaks of what we all have become masters at...
・私たち全員が得意とするのは、何かを受け入れがたいと判断し、それを抑圧すること。心の奥底に押し込み、それが魔法のように消えたと考える=ダチョウ症候群。(自分注:ダチョウは危険が迫ると頭を砂の中に突っ込むと言われる事から、問題を見たり体験したりさえしなければ消えるだろうという態度を指す)。
・しかしフロイトは、抑圧されたものは私たちの体験や夢やシンボルや攻撃の考えなどとなって投影されると示した。

No.3334/p94 To foreshadow what we will be speaking about in...
・赦しはJの目を通じて言う:「あなたが非難している他者とは、あなたが密かに非難している自分自身の写し鏡だ。問題の在り処が示された以上、あなたはこれについて何とかする機会が与えられている。他者への非難とは、実はあなた自身に心に対するものなのだ」

No.3345/p94 If we are not peaceful, it is only because we have chosen to...
・私たちが平安でないのなら、それは私たちが判断(judge)することを選んでいるから。それが全ての病気(dis-ease)と平安の喪失の原因。

No.3366/p95 Once again, what we repress does not disappear, but...
・私たちが抑圧するものが消えることはない。それは無意識のなかに残り、夢の中で表現されることになる。だからフロイトは「夢は無意識の活動を理解するための王道」だと説明した。夢は私たちの内面で何が起きているかを明るみに出す。
・Jはフロイトの概念を用いて、あらゆる夢にまで拡大して適用した。睡眠時の夢だけでなく、起きている間の夢の世界に対しても。

No.3407/p96 Jesus is telling us that he did not deny the level of the body...
・Jの二千年前の時もこのコースでも、肉体のレベルを否定せず日常生活に教えを適用するように言っている。私たちがこの世界に居ると信じているということは、梯子の下の段に居るということ。そこでは我々が受け入れることができ、理解可能な「形態」としての贖罪の象徴が必要となる。
・Jの本質は生身の人間であったことではなく、贖罪の原理(すなわち全ての人々に内在する完璧な愛)であったこと。私たちがこの世界にいると信じる間は、贖罪の想念もなんらかの形態をとる事になる。Jはそうした形態のひとつであり、彼に顕現されていた贖罪の原理を教える存在。
・重要なのはJが唯一の形態だということではなく、私たち全員もいずれは彼のようになるということ。

No.3417/p96 He clearly wanted Helen and Bill to understand, and us as well...
・Jがヘレンとビル、そして私たちに理解して欲しかったことは、彼が代理となって救済することは出来ないということ。彼に出来るのは、私たちの心の中の贖罪の想念として語り続けることである。
・私たちがJの声を聞いたと思う時は、単に私たちが彼の方に振り向いたというだけ。彼を教師として選ぶとき、その愛は、私たちが理解し受け入れ可能な形態としてやってくる。
・もし英語圏の人であればJの声を英語で聞くかもしれない、無韻詩の愛好家であればJの声を無韻詩で聞くかもしれない、心理学者であればJの声を心理学用語で聞くかもしれない。(自分注:全てヘレンに当てはまる例として)

No.3423/p97 Once again, Jesus is a perfect presence of the non-specific...
・Jは私たちの中にある完璧に抽象的な愛の存在。それは灯台のようにただ光を放ち続ける。灯台は何も特別なことはしない。もし船長が光に向かって進もうと決めたらそうするのであって、灯台の光が船を探しに行くわけではない。それは単に海の暗闇を照らすだけ — 贖罪の光が私たちの心の暗闇を照らすように。
→これがFACIMの会報誌をThe Lighthouse(灯台)と名付けた理由。

No.3461/p98 We need not make the choice once and for all. That is the...
・私たちは一度きりの決断を迫られているわけではない。私たちが判断(judge)を放棄したら、神の心の中に消滅してしまうというのが私たちの恐怖の土台となっている。
・だが、このプロセスがそのように進むことはない。私たちは「徐々に」判断への投資を手放していくことになる。私たちが個別の自己ではないという考えを快適だと感じられるまで。

 

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Chapter 3からは以上です。

次回開催は11月上旬の予定なので、それまで精進したいと思います(^^)