ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

素直に喜べばいいのに

9/4。

ここしばらく、朝から晩までイラストの勉強をする日々が続いていています。それは、新設したお絵描きブログになんとなく1日1作品を投稿することを自分に課しているせいなんですが。。。正直、PCに向かってる時間だけで比較しても、会社で仕事してた時よりはるかに長時間働いてます。ただ、ずっと家で作業してるせいか、夜中までPCに向かってても全然疲れないのはちょっと嬉しい。そんなに頑張ったところで、まったく稼ぎにはならないんですけどね。

 

最近になって、活躍中のイラストレーターさん達をSNSでフォローするようになりました。彼らがハイレベルな作品を短期間で次々とリリースする様子に触れるようになったことが、良くも悪くも刺激になっているのは確かです。「こんなのが描けるようになりたいな」と憧れる一方、「このクォリティに到達しないと絵で稼ぐのは無理なのか。。。」と自分を追い詰めるような、矛盾した気持ちが湧いてきます。(まあ、将来的に絵で稼ぐわけじゃないにしろ、もう若くはないので出遅れ感がハンパない)

 

というわけで、現時点でのモチベーションの大半は現世的な焦りと不安だったりもします。少しずつ絵を描けるようになりつつあるのは嬉しい反面、幸せな絵描きというには程遠いなぁと。正直いって、長期的に稼ぎの見通しが立たないことが不安で仕方ありません。これが聖霊の見方でないことは明らかなので、どうやら私は何をやっても決して幸せにならないぞと決意してるらしい。orz

 

それまでの自分を振り返ってみる

。。。でも冷静になって、ここまでの道のりを振り返ってみると、そもそもACIMに復帰した2年前の時点で「絵を描く」などという発想は不可能だった事を思い出すのです。もちろん、それが心の奥底にずっとあった事は知っています。でも、自分は絵の世界からあまりにも遠くまで道を外れてしまったので、とても戻れるとは思ってませんでした。

 

道を外れた理由は、主に16年前の離婚を起点にした怒りと無価値感との闘いでした。この苦痛を持て余して、文字通り地の果てまで旅するような事をやりました。あまり安全でない活動にもあれこれ手を出してきたけど、どういうわけか全て無傷で切り抜けたので、トベはそういうアドベンチャー系なのだという認識が自他共に定着していったという経緯があります。

 

でも内心では、こんなの全然楽しくない。。。自分は別に冒険路線が好きなわけじゃなくて、ただ成り行きでそうなっただけなのに引き返せない所に来てしまった。。。と感じていて、方向性を見失っていました。結果、創作への憧れのギャップを埋めるための折衷案として、超高温を扱う特殊なアート(ガラス)を始めたり。でも、それすらもどこか虚しかったです。

 

ACIMに復帰を決めたのはそんな頃でした。 ワークブック始めた直後にまさかの病気で倒れて、ガラスどころではなくなった経緯はこのブログに綴ってきた通りですが、この時にたくさんの象徴を手放すことになりました。気ままな一人暮らし生活も諦めたし、かつて自分の代名詞だったヘルメットも捨てたし、オフロバット関係の道具もほとんど処分しました。

 

それは過去の実績、つまり自分が生きてきた証を捨てることに等しかったので勇気の要ることでした。でも、2年前の謎の恐怖感(何も食べられず痩せ細った)のなかでマジ死ぬかも知れないと思ったときに、過去の自分像にしがみつく価値などないとようやく納得できたのかも知れません。それは元々、 ”前夫への復讐の表現として築いてきた自分像” だったので、それに執着する間はずっと虚しくて当たり前だったのでしょう。

 

皮肉なのは、そうした殺人衝動を相殺するためのアクティビティ(=でかいエネルギーをつぎ込むのでアウトプットもでかくなりやすい)の結果だけを吹聴してまわると、世間的に評価されたりチヤホヤされたりするということです。そうやって、いつの間にか嘘で塗り固めた自分像から抜け出せなくなるという悪循環にハマるんですね。

 

こんな分かりやすい設定なのに

今にして思うと、 離婚の怒りで復讐心が芽生えたのと同時にまったく絵が描けなくなったなんて実に分かりやすい物語設定だし、よく考えれば解決策までそこに含まれてますよね?と、自分でツッコミ入れたくなります。

なのに病気で人生強制リセットされるまで、「どうして突然何も描けなくなったんだろう?どうして?どうして?」と本気で謎だと思い続けてました。そうやって「描けない理由が全く分からない」と言い続けていれば、自分で目隠ししてる事に気づかずに済むもんな。(タオさんに看破されるまで本気で分からなかった…)

 

若かりし頃、残りの人生を復讐に生きると決めたことは、自分の内面に向かって「自分はもう二度と善きものを見ない」と誓うのに等しいことだったのでしょう。だから、描けなくなるのは当たり前だったんだなと思います。要するに、憎しみに基づく激しい思い込みが弱まるまでは、決して無邪気なお絵描きワールドに近づく事は出来ないという構図です。いまさらではあるけど、それらは自分の中では相互に排他的な関係だったのだと思います。

 

もちろん、ネガティブなエネルギーを昇華させる過程ですばらしい芸術作品を生み出す人たちも大勢います。そんな中、なんで私だけアートではなくアドベンチャー方面に全力投球する羽目になったのかは謎ですが、その辺は各人のシナリオ(カルマ?)次第なのかも知れません。

 

というわけで、毎日PCに向かって絵の練習をしながら、出遅れすぎて稼げない焦りと不安を味わっているのですが、こうして冷静に振り返ってみると「とりあえず稼ぎはどうあれ、ここまでこれて良かったじゃん、いまこうして描いてられること自体が信じられない事じゃん。素直に喜べばいいのに」という見方もたしかに出来るんだよな。。。

どっちの考えを採用すべきか、考えるまでもないか。

 

最近の練習の成果を貼っておきます。
以前よりもちょっとだけ、複雑な形状が描けるようになってきたかも?

若い女性ポートレート@PIXTA

若い男性ポートレート@PIXTA

夕焼けと紅葉@PIXTA