ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰してのあれこれ

ゲイリー達のオンライン講座 (22)

8/3。

こちらはオンライン講座 Let me perceive Forgiveness as it is, from ACIM Workbook Lesson 134 のPart 2です。日本時間で7/26に配信された分になります。

前回はゲイリーが調子悪くて席を外すというハプニングもありましたが、今回は元気に復活してました!しかも恒例のハワイのリトリートから戻ってきたばかりだとか。なんと2人ともそこで結婚10周年を祝ったそうです。すてき〜

 

講座の本編
前回はシンディの話がメインだったので、今回は復活したゲイリーの発言をピックアップしてみます。まず本編からひとつ…。

 

[ゲイリー]

(0:49) 赦しは自然に愛へと導くものだ。2000年前にJが放っていた愛は圧倒的すぎて、それは彼の表情にあらわれていた。なかには彼を直視することに耐えられず、目を逸してしまう人もいたほどだ。ベン・ハーという映画に見事なシーンがある。実はこの映画ではJの顔は一度も映し出されないが(素晴らしい演出だ)、Jの存在感が描かれている。ローマ人が「この男に水をやるな」と言って痛めつけていた男に、Jが水を飲ませるんだ。ローマ人は怒り狂ってJをムチ打とうとするのだが、Jの顔を見た途端に静止し、混乱して顔を背けて去っていった。実際のJも本当にそんな感じだった。彼の愛は、敵でさえ止めることができた。

(トベ注:この後に、石打ちで殺されるところだった娼婦をJが救ったという聖書の話は実話だという話が続きますが、聖書的によく知られている内容なので割愛します。ちなみにベン・ハーの映画は何種類もあるそうですが、今回ゲイリーが言及したのは名作と名高い1959年版のベン・ハーだと思います)

 

Q&A

今回は10個の質問への回答がありました。個人的に興味深かった内容を2つほど要約してみます。

 

Q2. 私の赦しの課題は政治です。トランプ大統領は世論を分断させており、文字通り内戦を起こそうとしているように思えます。私は彼を信用できませんが、このことを赦すためのアドバイスをお願いします。

ゲイリー:自分の政治的な利益のために、国民を反目させ合って人々を分断させようとした政治家はトランプだけではない。自分の支持者層が憎しみを向けるための敵を作り出すというのは彼らの常套手段だ。その憎しみが(政治家に)パワーを与える。それは100%エゴのものだ。だが同時に、我々コース学習者としては -- 彼に投票する必要はないけど -- 彼を赦す必要はある。赦しは全てに適用されるべきもので、例外があってはならないからだ。

僕らは、彼の突拍子もない振る舞いを見過ごす必要がある。彼のヘイト思想や差別主義といった狂気を見過ごすんだ。これはあなたの夢であって、真実ではない。あなたは気に入らないかも知れないが、コースはこう言ってる。あなたが彼を嫌だと思う部分というのは、じつは自分自身が隠し持っている罪や憎しみを表している、と。

例えば僕がトランプについて「能無しの馬鹿野郎」と思った場合、本当に能無しで馬鹿なのは僕だということになる。なぜなら僕は天国を捨て、神の平安も投げ捨てたほど愚かだったからだ。コースには「私は自分で考えているような理由で、動揺しているのではない(W-pI.5)」とある。ということは、一見トランプが僕を怒らせるように見えるけど、実は僕が本当に怒っているのはその事じゃない。それは、神からの原初の分離にまで遡る心の中の罪悪感なんだ。そして、もし僕が彼を赦すところまでいければ、それは聖霊によって癒やされることになる。

 

Q5. もしゲイリー達が今生で悟りに達したら、来世でパーサやアーテンとして生きる(=心理的に振り返る)必要はない、という事についてもっと説明して貰えますか? 確か、映画はそのまま続くけど、観客席からは抜けるといった例えだったと思いますが。

ゲイリー:覚えておくべきことは、あなたが見ている映画(世界)は、あなたという個人から発しているのではない、ということ。あなたがスクリーン上に見ているものは「ひとつの無意識の心」から来ている。だから僕らは同じ世界を見ているように感じる。みんなと同じ地球、同じ宇宙、同じ狂ったTV報道を見ているように感じるんだ。

もし映画館に行けば、あなたはこの席、他の人はあそこの席に座ってる。あなたがたは一見別々であるように見える(でも、違うんだ。実は全然別々なんかじゃない。それがトリックだ)。そしてあなたがたは映画館で同じ映画を見ることになる。なぜなら無意識の心はひとつしかないから。

エゴは分離の仕組みを使って心を分割した(本当は心は常に繋がっていて、そのことは変更できないんだけど)。こうしてエゴによって見事に分割されたあなたという存在は、あなたの視点で映画を見ることになる。そして、僕は僕の視点で映画を見ることになる。でも真実には映画はひとつしかなくて、ひとつの無意識しかない。

さて、あなたが悟りに達したとする。するとあなたは立ち上がって映画館を去ることができる。だからって、他の人々が見ている映画に影響を与えることはない。なぜならその映画はひとつの無意識から映写されているからだ。そしてその映画はすでに撮影済みのものだ。コースは僕たちが「過ぎ去ったことを心の中で反芻している(W-pI.158.4)」だけだと言っている。

映画はもう出来上がってしまっているのだから、一人が映画館を抜けても映画自体は変わらない。だって、映写機はひとつしかないのだから。そして、まだ映画を見続けることを選択している他の人々にとっては、同じ映画が続いていくように見える、ということだ。

 

*****

じつは今回、別の質問(Q7)でも別の切り口から映画館の例えがありました。それは映画館に座っているとき、自分の隣にエゴがいて、もう片方に聖霊がいて、エゴも聖霊も同じ映画を見ているけど、全く異なる解釈を持っている、という話でした。映画館、いろんな切り口に使えるんですね。

 

こうした映画館を使った例えは、元々はワプニック博士の著作によく出てくるやつですが、ゲイリー達もよく話してくれるのです。私としては、実感が難しい概念をイメージしやすくしてくれる例えなので割と好きかも。(そして、その例えを聞くたびに、ああそうだったすっかり忘れてたわー!と思うところまで相変わらずなんだけど。。。)

 

とにかく、今回はゲイリーが元気に復活してて良かったです!ハワイのリトリートもお疲れさまでした(^^)