ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰したのが奇跡

ゲイリー達のオンライン講座(8)

12/22。

クリスマス直前のオンライン講座でした。今回ライブ参加者がちょっと少ない感じがしたのは、皆さんXmas帰省中とかだったりするからなんでしょうね。
今回分:https://www.crowdcast.io/e/christmas-as-the-end-of-sacrifice/2

 

講座の本編

テーマは引き続き"Christmas as the End of Sacrifice"です。実際にライブ配信が行われたのはアメリカ時間の12/21の夜で、どうも理由があってこの日を選んだようです。。。!?(シンディの話も素敵でしたが、今回はゲイリーの話だけまとめてみます)

 

[ゲイリー]

(0:21) 今日12/21は、聖トマスの祝日だ。僕がメイン州に住んでた1992年に、アーテンとパーサ(以下A&P)が初めて現れたのもこの日だった。もう26年も経つなんて信じられないけど、そもそも最初の本(神の使者)を書くのに10年かかったからね。9年間をA&Pからの学びと執筆にあてて、もう1年を編集に費やし、出版されるまでにさらに1年費やした。つまり世に出るまでとても長い時間がかかってたんだ。

A&Pが初めて現れた日、僕は一人で瞑想していて、目を開けたらそこに彼らがいたんだ。驚いたなんてもんじゃないよ。その最初のはとても短い訪問だったけど、後で我に返って「今のは何だったんだ!?」となった。彼らが現れるところは見なかったけど、リモコンでTVを消すように忽然と消え去る所は確かに見たからね。

彼らは一週間後にまた来ると言ってたけど、僕は半信半疑だった。それで、ちょっと瞑想のやりすぎだったかも知れないと思った。なにしろメイン州に居た頃は、毎日2時間くらい瞑想してたからね。(でも、今では毎日の瞑想は15分程度。なぜならコースの瞑想は神という源に直接向かうので、15分の瞑想でも以前の2時間分に匹敵する効果があると分かったから)

その頃、クリスマスには元妻カレンの両親宅を訪ねるのが恒例だった。そこでカレンの親族達と会ってスポーツの話をするんだ。僕は野球もフットボールも好きだけど、彼らのようにスポーツの話を6時間もされると、嫌になって帰りたくなってしまうのが常だった。その時はまだ赦しについて教わってなかったからね。

ところが、興味深いのはA&Pが現れた翌年のクリスマスだった。(この最初の数年がA&Pが一番多く現れてくれた頃で、残りの数年は年一回くらいしか会わなかった。それは僕がコースの教えを人生に統合していくために必要なことだったんだ)。その年も、A&Pはやっぱり12/21の聖トマスの日に現れた。違いは、僕がこの一年の間に、彼らから赦しについて教わっていたことだ。

さて、2年目のクリスマスにいつも通りカレンの実家に行った。それまでカレンの兄弟とは特に仲良くもなかった。僕は都会っ子だったので、田舎育ちでスポーツの話ばかりしてる彼らと馴染まなかったんだ。だけどこのときは違った。カレンの親族は、彼らなりにベストを尽くして愛を表現しているのだと理解できたんだ。彼らは「愛してるよ」とは言わないけど、贈り物を交換したり、一緒にディナーを楽しんだりして、彼らに出来る最大限の方法で繋がり合おうとしていた。

もちろん、彼らが本当に繋がりたいと思っているのは神だ。誰も意識はしていないけど、誰だって我が家に帰りたいと思っている。だからどんな人も、自分が知っている一番のやり方で他者と繋がろうとする。カレンの家族も、いま帰省中の何百万人もの人々も同じだ。コースの学習者であれば、親族と会うのが赦しの機会になる事もあるだろう。たとえ不愉快な出来事であっても、僕たちはそれが赦しのためにあると知っている。聖霊は常に共にいて、導いてくれている。だから、帰省して何かあった時にはすぐに「真実を思い出す」ようにして欲しい。僕らがやる必要があることは、それだけだ。

僕自身はそれまで、カレンの両親や兄弟をリアルにしてたし、彼らが僕をさほど評価してない事もリアルにしてたし、その事を面白くないと思ってた。でもA&Pに教えられて以来、毎年毎年のクリスマスに起こることの印象がどんどん変化していったんだ。カレンの親族ともうまくやれるようになってきた。たぶん、彼らなりの接し方に僕が以前ほど抵抗しなくなったからだろう。

赦しは他者を変えることはしない。それはただ「自分が見ているものは真実ではない」と教えてくれるだけだ。本当の彼らは、肉体を超えたところにいて、神以下のものではない。それを思い出すときこそが「聖なる瞬間」なんだ。

 

Q&A

ホリデー中でライブ参加者が少なかったせいか、質問も7つほどしか出ませんでしたし、Q&A自体の時間も短めでした。目新しい質問は少なかったですが、1つだけマニアックなものを。

 

Q1. 4冊目のJesus & Buddha本で、マグダラのマリアはナザレ出身で、マグダラという地名を表しているわけではないとA&Pが言っています。ならば彼女がマグダラと呼ばれる理由は、彼女が教えた土地の名ですか?それとも彼女をJから離して貶めるためですか?

ゲイリー:いい質問だね。確かに「マグダラのマリア」はナザレで生まれた。そして彼女の母親によって、親族のひとりを敬うためにそのように名付けられた。いまでは普通に「ナザレのイエス」とか地名で呼んでるけど、実際には当時はあまりそういう呼び方はせず、「ベン・ジョセフのイェシュア」などと呼んでいたんだ。つまり、どこで生まれたかというより、誰の血筋かという事を重んじていた。それから長い時間が経って新約聖書が出来てから、人物に地名を付けて呼ばれるようになったけど、当時は家族名や一族の名のほうがもっともっと重要だったんだ。だから「マグダラのマリア」という呼び名は単純に親族のものであって、彼女を貶めるものではないんだよ。

 

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というわけで、クリスマス&帰省シーズンな雰囲気たっぷりの講座でした!日本ではクリスマス帰省なんてありませんが、我々もすぐに年末年始の帰省シーズンを控えているので、今回のゲイリーの話がそのまま応用できるかも知れないなーと思いました。