ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰したのが奇跡

ゲイリー達のオンライン講座(5)

11/8。
USは今月からサマータイムではなくなっているため、日本からだとオンライン講座の開始時刻が1時間ずれて10-12時に。そこで今回はあえて全休とって、ライブ視聴と録画レビューを1日でやってみることにしました。その方が記憶もフレッシュだし、時間のやりくりも楽ですね。
今回分:https://www.crowdcast.io/e/forgiveness-is-the-key/1

講座の本編
今月の講義テーマはワークブックのレッスン121「赦しが幸せへの鍵である」です。2人がこのレッスンを題材に選んだのは、コースの中心的な教えは赦しの実践にある、という認識がないまま学習を続けている人々が意外と多い(?)という事が背景にあるようです。私が知る限り、日本は大丈夫そうだけど...。
またもや盛りだくさんな内容でしたが、一部をピックアップします。
 

[シンディ]
(0:07) 原初において、私たちが神の愛を押しのけた事によって感じた罪悪感はあまりにも耐え難い苦痛だったので、それを否定して心の外に投げ出す必要がありました。それによって聖霊を心から締め出して(locked away)しまい、私たちは別の選択肢があるということを忘れたのです。一方で分裂した心も閉じ込められた(locked)状態になり、かつて心であったことすら忘れました。それに代わって、罪悪感の投影によって作り出された世界が現実となり、問題の原因は世界のほうだ!という事になったのです。
ですから、このレッスン(L121. 赦しが幸せの鍵である)で言っている「鍵(key)」というのは、私たちが閉ざしたものを再び開き(unlocking again)、自分たちが決断の主体であることを思い出すという意味です。それによって初めて、私たちが作り出したこの世界をどう解釈するか(聖霊orエゴ)を選ぶことが出来るようになるのです。

(0:09) 私たちには他者がどう振る舞うかについての責任はありませんが、それを「どう見るか」については責任があります。自分がどのように他者を見るか、世界を見るか。またその事についてどちらの教師を選ぶかを決めることができます。

(0:10) 他者を指さして「あなたのせいよ、あなたは悪人で殺人犯で、神はあなたを罰するのよ。私ではないわ」と言ってるとき、実際に私たちが密かに信じているのは、自分こそが殺人者だということです。私たちの中にある殺人という考えが外に投影されて、あちこちにその凶悪さを見ることになります。

(0:11) だからこそ、私たちが作り上げたこの恐ろしい世界について、聖霊による正しい解釈を受け入れることが必要になるのです。私たちはこの「投影を赦す」ということを、自分たちがいま信じている地点であるこの世界から始めなければなりません。私たちは、他者が何かをしたからではなく、その人が本当はしていないことについて他者を赦すのです。赦せば、幸せになります。なぜなら、そのときあなたは不満や動揺を手放し、自分が神から分離していない、ということを自分自身に思い出させているからです。

 

[ゲイリー]
(0:21) 10年ほど前、とあるACIMカンファレンスに参加したんだ。テーマは「聞いて、学んで、実行する」だったが、運営者がバタバタしながら「どうしよう?何をやろう?」と焦ってたので、僕は言った。「コースは、赦しが僕たちの唯一の機能(はたらき)だって言ってるじゃないか。それ以外に何をすればいいのさ?(笑)」だって、ACIMで何かを実行するとしたら、赦ししかあり得ないもんね。

(0:26) コースは赦しの連鎖について教えている。あなたの赦しは僕の赦しに繋がってくるし、僕の赦しはシンディの赦しにも繋がり、シンディの赦しも他のすべての人々に繋がっていく...という具合だ。聖霊は、それらの赦しのすべてが完璧に組み合わさる計画を立案している。それが神の子としての目覚めに繋がっていくんだ。ただ、すべての神の子が目覚めるには長い時間がかかるように見えるかも知れない。だけど君がその予定日まで待つ必要はないんだ。君がいまここで赦しを学ぼうとしているということは、たぶん君にとっては、今こそがその目覚めに向かう時期なのだと言えるだろう。

(0:46) 何週間か前にレストランに行ったんだけど、ウェイターが僕よりも後に来た客の方に行っちゃって、少しイライラした事がある。僕はじれったく待ってたんだけど、彼はなかなかこっちに来ない。でも、そういう感覚に気づくことが、赦しの鍵になるんだ。僕はエゴと共に「不公平に扱われている」と感じていた。不公平に感じるということは、それをリアルにしているということだ。そこで僕は時間を無駄にするのをやめて、コースを実践することにした。そのウェイターを完璧な神の子として--つまり肉体ではない存在として見ると同時に、自分も肉体ではないと思い出した。僕らが肉体でないなら、どうして「不公平に扱われる」なんてことが可能だろう?それで全てのことにつじつまが合った。僕らは本当は被害者になることなんて出来ないんだ。そうしたらウェイターが僕のところに来てくれた。
さて、僕はその数分間を、苛立ちながら過ごすこともできただろう。だけど赦しを思い出したことで、同じ時間を平和な気持ちで過ごすことができたんだ。

 

Q&A
今回のQ&Aは興味深い質問が多かったです。全部で11の質問がありました。(最後にすごいのが来た)

 

Q2. 聖霊からインスピレーションを受け取って行動するというのは、幻想の問題を幻想で解決するという意味ではないと思うのですが、2人はどう思いますか?

ゲイリー:別に聖霊から幻想の解決策を受け取るのは構わない。精神療法のセクションでは、最も進んだ神の教師でさえ、この世界にいる間は必要なものがあると言っている。幻想だと分かっていても食事はしなきゃいけないしね。聖霊は幻想の世界であなたの人生をガイドしてくれるし、そのことに全く問題はない。水は幻想だし、酸素だって幻想だけど、君はそれを使うだろう。この世的な解決策に罪悪感を感じてそれをリアルにする必要はない。与えられたものに心を開いていいんだ。幻想の世界で豊かさを受け取ってもいいし、世間的に成功したって構わない。そのことを否定してリアルにしてしまうより、豊かになりながらそれを赦していくほうがいい。

 

Q3. 私はワークブックを1/3しかやっていません。レッスンをやると不安感がひどくなるので、精神科医と相談して中断することに決め、今は読むだけにしています。準備が出来てない者にとって、コースの実践が危険だということはありますか?

ゲイリー:まず、コースを恐れることはないと言っておこう。もちろん精神科医がそのように判断する状況ならレッスンは中断した方がいいだろう。あなたが今やってるように、ワークブックを読んで知的に理解するだけで構わない。いつかもっと元気になって精神科医を必要としなくなったとき、もしコースに戻りたいと思ったならその時レッスンに戻ればいい。その時こそ、ワークブックを読み込んだ時の理解が大きく役に立つだろう。

シンディ:あなたがそれでもレッスンに惹かれるというのは、内なる声がその方向を指し示しているのかも知れませんね。だからって無理にレッスンをやる必要はなく、いまは読むだけで良いと私も思います。実際、ワークブックをやった多くの人が、より恐れや不安を感じるということはあります。なぜなら、自らの闇を直視することになるから。そのことでより不安を感じるのは、ある意味では自然な反応とも言えるでしょう。ワークブックはそこから脱出する方法も示していて、その不快感を自分の利益に変えることもできます。ただ、イエスは「強い抵抗がある場合は、無理をしてはいけない」とも言っているので、絶対に無理はしないでくださいね。

 

Q3. 愛する人を突然失った悲しみにどう向き合えば良いですか?この状況で、どのように赦しを適用すればよいでしょうか?

ゲイリー:このことについては2つのレベルがある。夢のレベルと心のレベルだ。僕も、身近で大切な人を何人も亡くしている。大きな悲しみも何度も経験した。泣いていいんだ。僕だって泣いた。その悲しみを感じるのは構わないし否定すべきではない。いずれは、亡くなった人が神と同じ不死の存在だと理解するところに行き着くだろう。神から離れることは出来ないし、愛する人がその全一性のなかで失われることはない。やがてその真実が、悲しみに取って代わる。しかし(夢のレベルでは)、まずは普通の人と同じように悲しみ、普通の人がとるべき行動をすることだ。いずれにしても、君が先に死ぬか相手が先に死ぬか、2つにひとつだ。長く生きたほうが、相手の死をみることになる。そうして赦しの機会が決定される。いつの日か学習者として、愛する人を失うことが不可能だと分かる時が来る。だからそれまで心の中で、亡くなった相手とコミュニケーションを続けていこう。

 

Q11. ワプニック博士は癌で亡くなったそうですが、それは博士にまだ癒やされていない罪悪感があったということを意味しているのですか?

ゲイリー:第一に、すべての人は定められたスケジュールで死ぬ事になってる。脚本はすでに書かれている。僕らがこの幻想を去る日はすでに決定されているんだ。僕は、ケンとヘレンが同じ71歳で亡くなった事は興味深いと思っている。聖霊はもちろんそこまで見通していただろう。そして彼らがこの生において、自分の仕事を完了するのに必要な時間を知っていただろう。ケンは人生の最後のほうで悟りを開いていたと思うし、彼の妻グロリアもそのように感じている。その意味で、ケンに無意識の罪悪感が残っていたとは思えない。それでも癌になることはできるが、それは彼に何の影響も与えなかったはずだ。痛みも感じなかっただろう。それが赦しのエッセンスだ。イエスが何の苦しみもなく十字架で死んだのと同じように、癌になっても何の苦しみもなく死ぬことは可能なんだ。ケンは悟っていて、僕らのために多大な功績を残してくれた。彼は自分の人生ですべきことを完璧に成し遂げたのだと思う。このことについては、いずれ時間のあるときにまた話そうと思う。

 

。。。長くなったので今回はこのへんで。

個人的には、この作業プロセスは非常に勉強になるし、興味深い内容も多いので、しばらく続けたいなと思っています。(ただ、ゲイリー達の話はけっこう内容が前後するので、どうしても独断で編集したり表現を変えたりというのはあります。私の理解不足で間違ったことを書いていたら本当に2人に申し訳ないのですが、それは私の責任なのでどうかご容赦ください)