ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰したのが奇跡

ペットの病気や怪我に対する見方

実家の愛犬プーコが突然足をいためて動けなくなってしまった件で、オロオロしているトベです。
facim.orgのTrue Empathy にペットの苦しみに直面した飼い主のエピソードがあったのを思い出して、何度も読み返し中。。。

このTrue Empathyはとても長いお話ですが、ベースとなっているのはテキスト16章の「真の共感」というセクションです。ワプニック博士はこれを重要なテーマとして扱っています。

たとえば他者に対して「可哀想に…」「お気の毒…」と言ってしまいたくなるような共感というのは、一見愛ある行為に見えるけど、実はエゴの共感なので気をつけてくださいね、といった事例がたくさん紹介されています。(今回はペットの話に限定して抜粋します)

True Empathy Part5に紹介されているのは、病気の飼い猫に心を痛めた女性のケースです。この猫は病気の手術を受けたあとびっこを引くようになってしまい、彼女はとてもつらい気持ちになりました。

私も、そんな事があったら誰だって悲しい気持ちになるだろうと思ったのですが、ワプニック博士はそうではないと教えています。以下、抜粋です。

 

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The reason the owner felt upset about her sick cat... (Part 5)
飼い主の女性が病気の猫について動揺した理由は、その猫が苦痛を味わっていることとは全く関係ありません。それは、彼女自身が「うちの猫は被害者だ」と感じたがっている事と関係があるのです。彼女はこの世界での苦しみや痛みといったものが現実だと信じたがっていて、それをなんとかしなければと思っていました。けれども、もし彼女がそのような感情を望んでいなかったならば、もとからそれを感じることはなかったはずです。これは非常に重要なことです。たとえ誰であろうと、何事であろうと、私達の心の中に何かを感じさせる力はないからです。

 

Before her sick cat came home, ... (Part 5)
病気の猫が戻ってくる前に、彼女は心の中で聖霊に背を向け、イエスの手を振りほどき、エゴのほうを向きました。それから、私たち誰もがやるように否認のベールで心を覆い、自分が何を選択したのか忘れることにしました。そうして、弱さや病気や苦しみに伴う感情はいまや彼女の心の外側にあるものとして体験され、彼女の責任ではないということになったのです。自分がこんなにも悲しく、心に痛みを感じる理由は、(聖霊に背を向けてしまったというよりも) 病気の猫が心の外に--つまり世界に--いるからだ、と。しかし彼女はまず、その痛みを見つめることにしました。もしその痛みが病気の猫という形で現れたのでなければ、どのみち友達が病気になるとか、自分が病気になるとか、職場で何か起こるといったような形で現れていたことでしょう。

 

if you have a sick pet,... (Part 5)
もしあなたに病気のペットがいるなら、それはあなたが選択したことであり、あなたが学ぶレッスン(教室)の一部なのです。そしてあなたがそのレッスンを選択したのなら、それには2つの理由があります。ひとつはエゴの理由で、それはあなたに偽りの共感を教え、分離や苦しみとは何であるかを教えます。もうひとつは聖霊の理由で、それは「あなた自身の選択によらなければ分離も苦しみもありえない」と教えます。
そこで、コースの良き学習者である猫の飼い主は、聖霊にこう祈りました;「オーケー、これは私が選択したレッスンです。どうかこのことを別の見方で見られるよう助けてください」と。

 

We always have to remain faithful to... (Part 5)
私たちは常に、みずからが選んだレッスンに誠実でなければなりません。ペットを飼うというレッスンの一部は、ペットのお世話をすることです。だから彼女も他の飼い主と同じように猫のお世話をします。その一方で彼女は、「もし猫を可哀想だと思うなら、その可哀想という気持ちは自分自身の選択であって、猫の問題とは何の関係もない」という事を学びました。ですから彼女は、どんな飼い主とも変わらないお世話をしながらも、猫に対して可哀想と思ったり、罪悪感を感じたり、猫の苦しみに自分を重ねたりしないようになりました。彼女は一見、どこにでもいる普通の飼い主に見えるかも知れません。違いは、彼女が他の飼い主よりもっと平和な気持ちでいられることです。

 

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ちなみにこの飼い主の女性は赦しのプロセスを通じ、病気になった猫の姿に「彼女自身の傷つきやすさ」を重ねて見ていることに気づいたそうです。。。
ということは、「うちの可愛いプーコが足を痛めて気の毒だ」と思っている私は、決して愛ある想念からそう思っているのではなく、実は自分自身を「不完全で気の毒だ」と思っているのと同じだということになります。オーマイガッ!

プーコがびっこを引いて歩くのを見るたびに湧き上がってくる「可哀想…」という気持ちにもっと気づくようにして、「こんな気持ちは要りません。プーコにも罪はありません」と聖霊に祈る練習をしよう。上手く行かなくても、とにかくやろう。