ACIMタッチアンドゴー

奇跡のコースに復帰したのが奇跡

内側を赦すための唯一の方法

先日の胸部CTの診断結果が届きました。肺転移と見られる所見は無いとのこと。。。って、あれは肺を調べるためのCTだったのか。病院が何を意図してるかよく分からないまま検査を受けてるトベです。

 

身近な動揺ネタは尽きないのですが、反面、自分自身については近ごろだいぶ精神的に落ち着いてきたように思います。「なんかよく分からんけど手術受ける事になっちゃったなぁ」みたいな穏やかな認識になってきました。少し前まで死の恐怖だったものが、今では人生の通過点くらいに感じられるのは有り難い変化です。(もちろん、突然余命半年ですとか言われたら平気ではいられないと思うけど)

 

病気を契機に、かつて無いほど真面目に(当社比)ACIMに向き合った結果、自分の人生に現れる問題の原因はすべて自分の心の中にあるらしいという理屈はなんとなく納得できるようになってきました。
ただ、そこで止まってしまうと「そうか全部自分が悪いのか。病気になるのは当然の報いだよね。生きててごめん」みたいな、ただの自己嫌悪に陥ったままになってしまい、結局、以前よりさらに平安(聖霊)から遠のくという悪循環トラップがある事も分かってきました。

 

その状態は明らかに救済とは正反対のベクトルで、言葉にすると、「どうも自分の中にひどい罪悪感があるらしいのは分かった。でもどうやって、自分の心の中にあるものを手放したらいいの?だって自力で心の中(潜在意識)にアクセスするなんて無理じゃん!」。。。という絶望に似たものでした。

実際、このへんで限界を感じることが増えてきた結果、やっと初期のゲイリー本に書いてあった以下の対話の大切さがみえてきたように思います。

 

神の使者 p226 
ゲイリー:ちょっと待って。憎悪や罪悪感を含めたぼくの心の中身は象徴的にぼくの周囲に存在するのだとしたら、外部だけを認識する身体と脳にしばりつけられているぼくがほんとうに自分の内側を見ることなんて、どうしたらできるんだろう?
アーテン:そこなんだよ!それがエゴが仕組んだ罠なんだ。きみの体験はすべて幻想を現実だと思わせ、きみはそれを判断して自分にとっての現実にする---そうやってシステム全体を温存するんだ。きみのいまの質問への答えは生命への答えだ。脱出の道は聖霊の代案---赦しの法則---だよ。どうやってエゴに対して形成を逆転するかを学ばなくてはいけない。内側を赦すための唯一の方法は外側にあると思えるものを赦すことだ。

 

上記のやりとりはずっと昔から何度も読んで知ってて、特に目新しいものではなかったけど、今回初めて、「自分の心にアクセスできない」という苦悩に対する最もコンパクトな解答はこれだ!と思いました。

 

結局、私が人生で見るもの/体験するものを、自分の心の象徴と捉えて赦していく事だけが、私に出来る「唯一の心の中へのアクセス方法」だという事が少しずつ受け入れられてきた感じです。
アーテンが”外側にあるもの”と言ってるのは、嫌な人とか嫌な状況のような外的なものごとだけを指しているのではなく、病気のように自分自身に現れたものも含みます。それは形態が違うだけで、結局どちらも同じものなんじゃないかと。

そして、その困った事象が消え去るとか解決されるとかが目標なのではなく、それらの出来事を心の目で看過できるかどうかが問われているように思います。

 

だからTVに向かって悪態ついてる父はいつまでも怒り続けて全然構わないわけで、大事なのは私がそれを見てイライラした気分になるたびに心の目で聖なるパパリンを思い出して平和になれるかどうかです。


また、私の病気が治らないのも問題ではなくて(何らかの必然があって表れているわけで)、むしろ恐怖とか憂鬱とか、病に伴ってたくさん浮上してくる心の闇をどれだけ赦せるかのボーナスステージとして利用できるかどうか、という気がしてきてます。

 

だから、自分の心を自分で変えられない〜(涙)なんて、出来もしない事に挑んで凹む必要はなくて、ただ人生でいま周囲に表れている出来事を一つずつ赦していく(聖霊の目を借りて見る)練習、ただそれだけが自分の心の内側を癒す唯一の手段なのでしょう。どうせ動揺ネタには事欠かないし。。。

 

正直、手術はまだ怖いですけどね。でも以前よりはだいぶ受け入れられるようになったかな。(当日になったらやっぱり怖くて泣きわめいてるかも知れないけど)